6月27日基礎科昼間部(祐原)
講座を受講し始めて3カ月。早くも全体の半分が過ぎようとしている。基礎科通常講義では文字通り、基礎中の基礎から手取り足取り指導して頂いてきた。
そもそも「シナリオ」とは何なのか。
柱やト書きはどのように書くべきか。
プロットを作る際は何に留意すべきか。
台詞が説明的にならないためにはどうすれば良いか。
登場人物の「感情のうねり」を効果的に作り出すには何が必要か…etc
昼間部は毎回の受講生が数名なので、一人ひとりの提出したプロットや脚本をだいたい20分くらいかけて講評して頂いている。今日はプロットが4つと、一時間ものの初稿がひとつ。
それぞれ、
「話をセリフだけで動かすよりも事柄を使った方が効果的」
「感情のうねりに比して出来事が多すぎるとアンバランスになる」
「この二人の関係はもっと親密な方が良いのではないか」
「この人物は主人公の苦悩を知っていた方が良いのか、悪いのか」
といったように、微に入り細に入り比較、検討。あたかも自分の書いたプロットやシナリオの如く、あらゆる局面のあらゆる可能性を追求していく今井先生の緻密な講評に、私などはついていくのが精いっぱいであるが、そういった姿勢こそ最もシナリオ作りに求められている、という事を痛感する(講義内容だけでなく、その背中にも教わっている)。
私は、今日は何も提出できなかったのでプロットと脚本をひたすら熟読し、講評を追いかける。そして、つくづく思うのが自身の想像力(そして創造力)の貧困である(頭の回転の悪さというべきか)。先生が一瞬にして何パターンもの局面を思いつくのに対して、おそらく、私はそのうちの一つを思いつくのに丸一日はかかるんじゃなかろうか。もちろん先生はプロの作家なので比べるのが失礼なのだが…。
このような状態なので、思いついた「設定」をプロットに発展させる段階で「ああでもない、こうでもない」と考えている間に何日も過ぎてしまう。ともかく、人に読んでもらわない事には通学過程に在籍している意味がないので、「ああしてもつまらない。こうしてもつまらない」といつまでもウジウジしていてはいけない。
というわけで、次週は「エイヤ!」と出してしまうしかないな。