6月15日基礎科夜クラス(M.T)
今回は札幌在住の私が何故、赤坂のシナリオ作家協会の講座に通う事になったか、お話させていただきます。
昔々、「シナリオ作家協会」の夏期講座に申し込んだ私は、東京駅から会場である湯河原行きの電車に乗っていました。
「隣に素敵な人が座るかも」わくわくしていました。
隣にやってきたのは、小柄な初老の男性でした。
がっかりしましたが気を取り直し、初めて買った「月刊シナリオ」を読み始めました。
男性もぶ厚い本を読み始めました。風呂敷包みを結んだまま器用に本を取り出したのです。
やがて電車は湯河原に着き、男性は再び結んだままの風呂敷包みに器用に本をしまいました。
「変な人」と思いました。
駅前で私はバス停に、男性はタクシー乗り場に向いました。突然閃きました。
「あの人意外とお金持ちだな。ん?あの人新藤兼人だ!」
2時間、新藤監督の横で威張って月刊シナリオを読んでいたのか、恥ずかしい。
2泊の講座は楽しく受けました。帰り道、勉強を続けると話す東京チームが羨ましかったものです。
札幌で一人になった私はその日1日聞いた会話、見かけた出来事全てをノートに書き込むという暴挙に出て、1年で自滅しました。
湯河原の事も幻となりました。
それから幾年月。札幌の凍った道で滑りガンと頭を打った私は、「東京のシナリオ教室に通おう」と閃きました。打ち所が良かったか悪かったかは謎です。
たったったっと新千歳空港に向かい、勝手にいくつかのシナリオ教室の建物を見学しました。
シナリオ作家協会は本命だったので、一番最後です。
年代物の地下鉄を乗り継ぎ乗り継ぎ、夕暮れの中、赤坂のシナリオ会館に辿り着きました。
でも、建物内のどのフロアにも人の気配がなく、しーんとしていました。
淋しい気持になりました。
「縁があったのは昔の事だもな。違う教室にするか。残念だったな・・・」
でも未練が辛い。「そうだ、決める前に教室の見学をしてみよう!」
あるシナリオ教室は「空いてる教室なら見て良い」との事でした。「私は不動産屋か」
シナリオ作家協会に電話すると、講座の最終日にも関わらず快く見学させてくれました。
講師は林誠人先生。
「!!!ドクターX書いてる人が、講師?」
「プロがこんなに生徒のシナリオに真剣に向き合うんだ」驚きました。
「説明会」にも参加しました。
私は緊張していました。
「この『映画』のシナリオ会館でお笑い好きがばれたら追い出される」
でも現れた柏原寛司先生と西岡琢也先生のやり取りは昭和のいるこいる師匠を凌ぐ爆笑ものでした。
「面談」も受けました。
「井上先生がお待ちです」と言われ「イノウエってどの?まさかあの?え?は?」とパニックにもなりました。
こうして私は赤坂に通う事になりました。良かった。。
基礎科夜の講師である西岡先生、井上由美子先生ともに林先生と同じように生徒のバラエティにとんだ力作を「こうしたら良くなる」と真剣に関わってくださいます。
本当は「なんじゃこりゃ」と思っていらっしゃるのでしょうか。大丈夫でしょうか。
「分からない」「動機が強引やで」「楽しんでいただく」「何の仕事?」「どんな毎日送ってる人?」「離婚の理由は?」「何故そこで電話した?」「人物掘り下げないと物語綴れない」「芝居作らないと見る人分からんで」「お客さんは説明求めてない」「嘘臭い」「主人公はどう変わったの。そこが見たい」「見てる人の感情揺らして」「プロットで面白そうと思ってもらうように」「何が言いたいの」「ギャラ発生するんやから登場人物には活躍させて」
涙が出ます。
教室の夜、「本当に私今赤坂で勉強しているの?」と信じられなくなり頬をムギュと抓っています。夢のようです。
でもお金がなくなると赤坂に来る事はできません。
湯河原のように、赤坂もいつか、「そんな事があったな」と幻になるのでしょうか。
札幌の深夜の映画館でエンドロールの脚本家の名前を見て、「西岡先生に一番突っ込まれていた彼だ」と思う日が来るのでしょうか。
未来は分かりません。だけど
昔々、湯河原の会場で訥々とした広島弁で次回作を嬉しそうに語られた新藤監督の姿が浮かびます。
私の心を暖かいお湯で満たしてくれます。