6月の創作論講義(ケイ)
こんにちは、65期基礎科夜間部、「ケイ」またの名をOです。
ブログ執筆は今回が初めてとなりますが、以後お見知りおきを。
この度は6月に開催された「創作論講義」について当方なりにまとめてみました。
実際に教鞭を取っていただいた先生方の意図や趣旨と異なる箇所もあるかもしれませんが、
その点はご容赦ください。
6月2日 山田 耕大先生
脚本のネタとなる企画の重要性について学ぶことのできた講義でした。
映像業界は原作不足、出版業界においては出版不況が叫ばれる今のご時世であればこそ、
優れた企画はまさに金の卵と言えます。
この金の卵探しを得意としていた人物として山田先生が挙げたのが、名匠フランク・キャプラ監督。
しかし、今でこそクリスマスシーズンの定番映画として多くの人に親しまれている同監督による某作品は
公開当時、戦後で閉息しきっていたアメリカ国民の心境にそぐわず、
商業的に失敗したとの話には考えさせられました。
良い企画を見出すのと同様に肝心となるのは、時代の風を感じ取る豊かな感性と言えるでしょう。
余談ですが、今年のクリスマスに希望に満ちた心持ちで誰かと一緒に感動的な映画を鑑賞し、
こんな台詞を呟いてみたいものです……「ああ、素晴らしき哉、人生!」と。
6月9日 藤岡 美暢先生
ミステリーとホラーの違いとは?
怪談仕立ての落語、「もう半分」を題材にそれをホラーとして、
あるいはミステリーとして一つの作品に仕上げた場合を想定し、
両ジャンルの類似性と相違点について学んだ講義でした。
また、ミステリーというジャンルにはいつの時代も根強い需要があると知り、
売れっ子のライターを目指すにはこの分野のストーリーも
書きこなせる技量を磨かなくてはならないと痛感させられました。
ただし、読者を引きつける謎やトリックを構築するにはまだまだ研鑽が必要そうです。
半端な出来では「もう半分」に登場する件の老人が
「もう半分!」と不満を叩きつけてくるのが目に見えております。
6月16日 佐々部 清先生
いかにしてシナリオを書くか? ということについて学ぶ普段の講座とは毛色が異なり、
フリーランスとしての監督、脚本家のあり方に関する貴重なお話を聞けた講義でした。
ゆくゆくは脚本家として筆一本で食べていくことを目指している当方にとって
個人的に非常に関心の高い講義内容であり、佐々部先生の人柄の良さにつけ込んで、
業界の内部事情に関するかなりきわどい質問をしてしまったことをここでお詫びします。(苦笑)
監督、脚本家としてご活躍されてきた佐々部先生が語るエピソードには
一筋縄でいかない映画作りの困難さが滲んでおりました。
しかし、それを楽しげに、かつ雄弁に語っていた先生の表情と物腰は今でも印象に残っています。
当方も将来的には、産みの苦しみを多分に味わいながらも、終わってみれば
良い物が作れたなと誇りを持てる仕事に従事したいものです。
6月23日 原 一男先生
フィクションとは? ドキュメンタリーとは?
両者はある一点において本質的には同じであるということについて学ばせていただいた講義です。
手持ちの辞書によればドキュメンタリーとは
「虚構を加えず、事実をありのままに記録、構成した作品」とあります。
では、虚構によって成り立つフィクションとドキュメンタリーで何が本質的に同じなのか?
それは作品がクローズアップする人物に対して 作品の受け手をどうやって共感させるかという手法にあります。
虚構にせよ、事実にせよ、作品の中心人物に
共感を得られない作品に魅力が生まれるはずがありません。
とある有名な小説家の先生はフィクションはリアルでなくても良いが、
リアリティを犠牲にしてはならないと述べておりました。
シナリオに登場するキャラクターの人物像もまさにこれに当てはまるでしょう。
今後は、読み手の共感を掻き立てるリアリティに溢れたキャラクターを
創造することを念頭に脚本の執筆に勤しんでいきたい所存です。
ああ、こういった大言壮語な当方の発言こそが一番リアリティを欠いておりますね……。(笑)
それではまた。