4月16日基礎科夜間部(安永)
第一回目の基礎講座は小林弘利さん。この日、私は仕事の都合で今日は講座に出席できないかなと諦めかけた。しかし諦めきれずに会社の先輩であり、いつも会社で短パンをはいている婦人に「どうしてもシナリオ講座に行きたいので行っていいですか?講座が終わったら電話するんで、まだ仕事が残ってたら会社に戻ってきます」と私は言った。
「いいよ」
短パンさんがそう言ってくれたので講座に行くことにした。
会社の人たちには、本当に頭が上がらない(上げるけど)。
今や、こうして積極的にシナリオ講座に行く私だが、5年ほど前から、映画の勉強なんてのは学校の授業のように教わるもんじゃない、と思い込み、こういう講座や学校には頑固に行かなかった。映画やドラマの現場で働いたり、独学で、新藤兼人さんの『シナリオ人生』を読んだり、ひたすら映画を観たりしていたが限界も感じていた。
書いたシナリオを読んでもらえるような、信頼できる人がいないのだ。ロクに映画も観ていない人からの意見も素直に聞こうとするが、イマイチ信頼に欠ける。
これは、いろいろな映画ドラマ馬鹿の人や現役のシナリオライターさんに読んでもらって、あれこれ言ってもらえる環境をつくらなきゃ駄目だとシナリオ講座に行くことにした。
さて基礎講座が始まり、小林さんはまず最初に2分間で「私は○○である」を30個、書いてくださいとおっしゃった。
①私は人間である
②私は男です
③・・・私は誰?。
2分たった。11個しか書けなかった。
「15個以上、書けていると潜在意識が上手く活用されていると言われています」
小林さんは言った。顕在意識で書くのではなく潜在意識でシナリオは書くのだ、ということ。はなから躓いた私は「私」を普段から考えられていないのだ。創作するにあたって「私」を追求しなければいけないことに気づいてはいたが、全然できていなかった。もっと追求せねばと気合いを入れる。
そこから「脚本とはなにか?」という話から、どの本にも載っていなさそうな映画の見方を小林さんが話される。
「あらすじだけ見て、つまらないという人がいるけど、たぶん、こういうことを知らないからじゃないかな」
「映画は頭で観るものではなく心で観るものでしょう」
いちいち自分に当てはまり恥ずかしくて悶絶するところだった。
その後も聞いたこともないことばかりで、私が発狂する寸前で、講座は時間が来て終了。助かった。最後に小林さんは言った。
「いろいろと話しましたが、こういった形式にとらわれず、自由に書いていってください。人に見せて伝わらなかったら誰かのやり方で伝えるのではなく自分で考えて伝えようとしなくてはいけない」。
やはり「私」が要なのだ。もっと早くに、シナリオ講座に来れば良かったが、昔のアホな私に何を言っても、頑固に生意気なことを言うだけだろうし、講座を受けても素直に聞けていなかったかもしれない。
アホはタチが悪い。そういう時間を過ごした後悔をバネにするしかない。
会社に電話すると、「今日はもう大丈夫」と言ってくれたので、受講生7人でタリーズにてコーヒーを飲み1時間ぐらいで解散。基礎科夜間部受講生は40人ぐらいいるのか、よく知らないが、ほとんどの人と話せていないので出来るだけ色々な人と話したい。どうみても年齢差が30ぐらいあるだろう人とか男か女かよくわからない人もいる。そういう出会いも大切にしよう。
そんなこんなで(どんなこんなだ?)「私」は安永 豊です。
半年間よろしくお願いします。
安永(第53期基礎科夜間部)
映画やテレビドラマ、教育ドラマの助監督やミュージックビデオやCMのプロダクションマネージャー、制作アシスタントをフリーでおこなっていた。
現在は広告の制作進行をしている。一番最初に思い浮かぶ四字熟語は「支離滅裂」。