2008.8.5

8月5日基礎科創作論講義(みやもと)

本日の創作論講義 「映画『火垂るの墓』シナリオ顛末記」
講師/西岡琢也(シナリオ作家)

 

 

八月五日火曜日は記録的豪雨に見舞われた。のかどうか知らんが、とにかくこの夏の記録的猛暑を一時とはいえ緩和するに足る十分な涼しげな雷がさわやかに轟いた。
僕は雨を眺めながら一人ごちた。「あ、でもピカチュウはネズミ科ってことか。だって昨日深夜番組でシェイラが言ってた通りピカチュウがネコ科だったらピカニャアになってたはずだもんな。意外と頭の回転早いなシェイラ」。

 

西岡琢也先生がシナリオ講座にやってくるの段。西岡先生はニッっと笑った表情がネプのタイゾーに似ている。ただし講義中にはほとんど一度も笑っていないのでこれは想像の粋を出ない。
この日西岡先生から得た全ては、僕がこの世に生れ落ちてから今日までにかけがえのない、愛すべき僕の両親から得た全ての実に3分の2に相当する。
西岡先生は憂いていらっしゃる。こんないなたい世の中を。
今の若者は映画を見ない。画を映すと書いて映画。天を露わにすると書いて露天。

 

最近某雑色の某温泉に「露天がなかなかいい」と書き込みがあったので行ってきましたが、風呂が狭いことは百歩譲って二万で許すとしても、ふざけんな、普通に三方壁で囲まれて残る一方も竹やぶが茂っていて全く空が見えない。
あれは露天ではない。だからみなさん映画を見ましょう。

 

先生は自身が脚本を担当した映画「火垂るの墓」について言及されていました。
「戦争反対とお題目のように唱えていれば戦争はなくなるのでしょうか。だってイラク戦争とかやってるじゃないですか。そこは長年の疑問だ」と。
「あの話はよく出来すぎているけど泣ける映画が必ずしもいい映画とは限らない。戦争を知らない世代が戦争を知らない世代に戦争を伝えるにはどういうアプローチの方法があるだろうかと考えながらあれは書いた。あのシナリオにはあるいは暗い重苦しいムードが漂ってるかも知れないけど、希望があるとすればそれは清太が生きていることだ」。

 

みやもと(第51期基礎科夜間部)
1984年生まれ。10年程前から独学でシナリオを勉強し、
シナリオ講座は今回が初受講。