2008年5月20日(火曜日)
お昼に起きる。というか、起きたら十二時。十時間以上寝ていた。
……なんか、昨日も同じようなことを書いた気がするな。
人間は反省できる生き物だから、今日は真面目に仕事をする。それはいいのだけれど、家でプロットを書いているだけだから、日記にならない。
とりあえず加藤正人さん、ご紹介ありがとうございます。いつか日本一シナリオのうまい脚本家になりたいと思います。
ちなみに自己紹介用の写真は、ラスベガスで一番美味しいタイ料理屋でカレーを食べているものです。
今年は一年の内、二ヶ月ほどラスベガスに居ます。半分仕事で半分遊びです。
過ごし方によっては、東京よりお金がかかりません。定宿にしているダウンタウンのホテルは一泊30ドル程度だし、食事も安くて美味しい店を探せば10ドルほどです。カジノに行けば、お小遣いもくれます。(くれない時もあります。自己責任です)
夕方までプロットを書いて、銭湯でサウナに入り、いきつけの居酒屋さんでちょっと呑む。家に帰って『水曜どうでしょう』のDVDを観ながらさらに呑む。このあたりも昨日と一緒だな。かわりばえしない日記でごめんなさい。
あ、最後に一つ、宣伝させてもらいます。
6月9日月曜日、TBS系で『森村誠一サスペンス・時』という番組が放映されます。シナリオ書きました。お暇だったら観て下さい。
2008年5月21日(水曜日)
十時に起きる。睡眠時間八時間。
昨日の日記を書き上げて、メールで送り、家を出る。
井上淳一君に薦められた映画『さよなら。いつかわかること』を観に行くのだ。
祖師谷大蔵駅の売店で週刊プロレスを買い、劇場のある銀座に向かう。
シネスイッチ銀座に着いたのが一時半。次回上映まで一時間以上あるので、近くのレストランで昼食。ここが高価な割には繁盛している店で、相席になる。四人掛けのテーブルに三人。他の二人は仕立ての良いスーツを着ていて、一人は日経ビジネスなんか読んでいる。Tシャツにジーパンで週刊プロレスの自分が浮いていることに気付く。気付いたけど、今さら出られないので、取りあえずランチを注文する。しばらくするとウェイターがそれぞれのメニューを運んで来たけれど、ここで事件発生。他の二人には紙エプロンを手渡したのだ。
僕にはくれない。
そりゃあね、そりゃあTシャツですよ。場違いな店に紛れ込んだこちらも悪かった。それでもあなた、いくらなんでも露骨じゃないですか?日経ビジネスと週刊プロレスだと、銀座はこういう差別をするのですか?
オバマに言いつけるぞ!
気を取り直して劇場へ戻り『さよなら。いつかわかること』を観る。
主人公は妻をイラクで亡くした男。
米軍軍曹だった妻はバクダッドで戦死したのだが、二人の娘にそのことを告げられない。告げられないままフロリダの遊園地を目指して父娘三人で旅に出るという話。
そうか、女親の方が戦死するのか……。
映画終了後、井上淳一君に電話をする。
傑作だった。久しぶりに劇場で泣いたと言うと、彼もちょうど銀座にいるという。新藤兼人監督の最新作『石内尋常高等小学校 花は散れども』を観ていたらしい。取りあえず会うことにして、有楽町マリオンに向かう。
いや、驚きました。
井上淳一先生、Tシャツにジーパンで、片手に週刊プロレス持ってました。
びっくりしたなあ。地獄で仏という言葉があるけど、銀座でまったくの同類ですよ。四十ヅラ下げて週刊プロレス。
あまりの偶然に写真撮っておきました。
しばらくお互いに観た映画の話をする。有楽町の地下のお洒落なジェラート屋で、ここでもかなり浮いていたけれど、二人なので心強かった。
もう一本映画を観るという井上君と別れて本屋に行く。立川談春の『赤めだか』を買って帰宅。この本もある人が薦めてくれたのだ。
色々あったので、今日はまったくプロット進まず。明日は頑張って書こう。
2008年5月22日(木曜日)
十一時起床。
今日は目覚まし時計に起こされる。十三時半にテレビ東京で打ち合わせがあるのだ。
会議用の下準備をして家を出て、祖師谷大蔵駅の売店で、週刊文春と週刊新潮を買う。いつもは文春しか買わないのだけど、今週号の新潮には『伝説の脚本家が明かした過激な女優遍歴』という記事が大きく載っているのだ。もちろん白坂依志夫さんのことである。
さっそく白坂さんの記事を読む。過去の女優遍歴はすでに『人間万華鏡』で読んでいたのだが、あらためて抜粋された所だけ読んでも面白い。それにしても最後のインタビューで、今好きな芸能人は安田美紗子と南明奈と答えていたのには参った。南明奈のことをちゃんとアッキーナと言ってるし。
お茶目な七十五歳である。
話はちょっとだけ変わるけど、数年前にシナリオ講座で山田太一さんの授業があった。いつもは講師席に座っている同業者が何人も生徒側の椅子に座っている。
僕も授業を受けさせていただいた。
最後の質疑応答で、今日のお昼は何をしていましたか?という質問が出た。(授業は夜の部だ)
山田さんは「マンガ喫茶で『NANA』を読んでいました」と答えられた。
『NANA』かよ、と思わず隣の奴と顔を見合わせた。
そうか、山田太一はマンガ喫茶で『NANA』を読むのか、と妙に感動したことを覚えている。
一時ちょっと過ぎに神谷町に到着。テレビ東京の八階会議室で打ち合わせ。
テレビ東京の瀧川プロデューサー、ニューウェーヴの小椋社長、青木プロデューサーと『警視庁黒豆コンビ』の次回作について意見を出し合う。あ、大地康雄さんと村田雄浩さんがコンビを組む二時間ドラマのシリーズです。
テーマとストーリーの土台を決めて解散。プロットの締め切りは来週とのこと。ちょっと早くないですか……。
祖師谷に戻って、いきつけの店へ。少しはアルコールを控えないといけないのだけど、明るいうちから呑んでしまう。いかんな。
2008年5月23日(金曜日)
なんだか朝早く目が覚めてしまう。昨日の分の日記を書いてメールし、午前中は雑事。資料整理とか領収書の仕分けとか。
午後、新宿に行って映画『ミスト』を観る。
得体の知れない何ものかが潜む深い霧に包まれた街。スーパーマーケットに隔離された住民たちに恐怖が迫る……。ストーリーラインだけだと、よくありがちな恐怖映画なのだけど、観終わった時には打ちのめされていた。凄い映画だ。大傑作。狭いスーパーマーケットの店内に、現代のアメリカが凝縮されている。ここには絶望しかないと。
9・11というのは本当に世界を変えたんだな。9・11がなければ、絶対に撮られなかったはずのラストシーンだ。
十六時半にシナリオ講座45期の卒業生たちと合流。僕は二度ほど講座の専任講師をしている。
40期と45期だ。卒業後もそれぞれに勉強会を開いている。まあ、ただの飲み会の時も多いけど。
人は自分が育てられたようにしか、子供を育てられないと言う。強い意志で虐待の連鎖を断ち切る人もいるけれど、大部分の親には当てはまる気がする。
僕は実の親にも、シナリオの師匠にも過保護に育てられた。だから人間としてもライターとしても相当に甘い。この年になって友人から、物を書く姿勢を正せと言われるくらいだ。
新宿のビアホールから、大久保の韓国料理店、カラオケと移動する。
その中で色々な話をする。映画の話とか、来月で失業保険給付が切れる話とか、年下の彼氏の話とかだ。
本当にシナリオを教えるなら、教室の中だけでは無理だと思う。(あ、こんなことシナリオ講座のブログに書いちゃいけないのかな)
だけど僕が師匠からシナリオを教えられたのは、飲み屋のテーブルだったり、雀荘だったり、タクシーの中だったりした。人は育てられたようにしか、子供を育てられないのだから仕方ない。
かなり酔ってタクシーで帰宅。今日もまた一字も原稿を書いていない。
どうか、今仕事をしているプロデューサーさんたちが、この日記を読んでいませんように。
2008年5月24日(土曜日)
お昼頃目が覚める。ちょっと二日酔い。喉が痛いのはカラオケのせいか。
飲み過ぎを反省しながら、家で原稿を書く。
『万引きGメン・二階堂雪』という二時間ドラマで一緒に仕事をしている津崎監督より電話。来週から撮影に入るとのこと。現場にお邪魔することにする。僕は基本的にミーハーなので、撮影現場で女優さんを見るのが大好きなのだ。石野真子さんとか、南野陽子さんとか、昔憧れてた方が出演される時は万難を排して現場へ行くことにしている。井上先生、こういう所も、物書きの姿勢としては直した方がいいでしょうか?
夜、立川談春『赤めだか』読了。面白かった。師匠があるというのは幸福なことだと思う。親は選べないけど、師匠は選べる。その人の何かに惚れて、生涯の教えを乞うというのはとても素敵な関係だと思う。ただシナリオライターで師匠を持っているというのは僕の世代が最後になるだろうな。濃密な人間関係は敬遠される時代になってきたし。
昨日も書いたけど、僕の師匠は過保護な先生だった。僕はデビュー前にシナリオコンクールなどの実績をほとんど残していない。シナリオ学校の担任だった師匠のアシスタントをしただけだ。だからデビューは全部師匠がお膳立てしてくれた。師匠の仕事の共作をして、名前を出して貰ったのだ。その時師匠は担当プロデューサーに、安井の名前を先にクレジットしてくれと言った。初めてテレビに名前が出るのに、二番目じゃ可哀想だからと。
それから師匠の紹介で仕事を貰い、何とかライターで食べられるようになった。
師匠からは怒鳴られたことはおろか小言を言われたこともない。一度二人でホテルに缶詰になった時、昼近くまで寝てしまったことがある。目が覚めると、師匠は必死に原稿を書いていた。さすがにこれは怒られるなと思ったが、師匠は「おう、起きたか。お茶飲むか」と言って弟子のためにお茶をいれてくれた。
落語の世界だったら一発で破門だったろう。
あ、師匠の名前は下飯坂菊馬と言います。凄い名前だけど本名です。先月の十日に亡くなってしまったので、もうすぐ四十九日が来ます。
2008年5月25日(日曜日)
昼頃、起きる。
家で仕事したり、テレビ見たりで特に書くこともない一日。
今日でこの日記を書くのも最終回。思ったより大変だった。ノーギャラの締め切りが毎日ですよ。最初の四人は、自分たちで言い出したことだから仕方ないけれど、他のシナリオ作家協会会員の皆様にはお手数かけます。こんな企画始めて、ごめんなさい。だけど順番回って来たら引き受けて下さい。
初めてシナリオ会館へ行った時には、結構驚いた。赤坂駅から一分の所に八階建てのビルがあって、それが全部シナリオ作家協会の所有物だという。シナリオ作家協会って金があるんだなあと思った。 (写真下:
赤坂シナリオ会館)
今、僕たちがシナリオライターとして得ている権利(再放送料とかビデオ・DVD印税)は、初めからあったものではなく、先輩たちが闘って勝ち取ってくれたものだ。その先輩たちが私財まで投じて残してくれたものがシナリオ会館という建物である。
シナリオ講座の教室は、その三階にある。現在の会員である僕たちには、先輩たちから受け継いだシナリオライターの権利と財産を、食い潰さずに次の世代に手渡す義務がある。
シナリオ講座で、次世代のライターを育てているのは義務でもあるのだ。
昔、あるライターが、なぜ将来の商売仇を自分たちで育てる必要があるのか、と聞いたそうだ。答えは二つある。
一つは自分たちも、先の世代に育てられたこと。
もう一つは、商売仇になるような生徒なんて、五十人に一人もいないからだ。シナリオ学校に通えば、誰でもプロになれるなんてことはない。絶対にそんなことはあり得ない。(この文章、このまま載せてくれるかなあ。シナリオ講座を宣伝するためのブログなんだよなあ)
野球は誰にでも出来るけど、みんながプロになれないのと同じ理屈だ。
ただ、本人にシナリオを書く資質があると認められたら、講師のライターは一生懸命育てようとする。昨日の日記の僕の師匠のようなものだ。自分の仕事を分けてでも生徒を一人前にしようとする。
ぶっちゃけついでに書くと、シナリオ講座の講師料は一回二万円ちょっとだ。それで一日が丸潰れになる。僕程度のライターでも、家で原稿書いてた方が経済的にはずっとマシなのだ。
それなのに結構な売れっ子ライターが講師を引き受けている。今期基礎科の林誠人さん(通称・マコリン。僕の兄弟子)なんか、よくこれだけ忙しい時期に講師が出来るなと感心する。連ドラ、二本抱えてるんでしょう?たぶんみんな、先輩たちが残してくれたシナリオ作家協会とシナリオ講座が好きなのだろうし、それなりの義務を感じているのだろう。
どこかのシナリオ学校に通おうとして、このブログを読んでいる人がいたら、迷うことなくシナリオ講座に来て欲しい。あなたは二十年前の僕です。……って、二十七まで無職でぶらぶらしてた奴に言われたくないですか。そうですか。
えっと、最後に明日からこの日記は、赤松義正さんが書きます。詳しく紹介したいのですが、一度しか会ったことがありません。笑顔の素敵な青年でした。ただシナリオライターなので、根っからいい人のはずはありません。
赤松さん、よろしくお願いします。