2009年9月22日(火曜日)
オレはベッドから這い出るまでに小一時間はかかる。
二日酔いと二十数年来の腰痛に悩まされ、すぐに起き上がれない。
ストレッチ体操をしながら、昨夜の出来事を反芻する。。。
昨晩遅く、大ライター白坂依志夫氏と長電話をしたことをおぼろげに思い出した。
師匠の桂千穂氏に紹介された白坂氏とは、なぜかウマが合って、茶をしたり、
夜中に電話をしたり、Hビデオを交換したりして、仲良くしてもらっている。
白坂氏とオレに共通するのは「女好き」ということだ。
言い訳が許されるのなら、「死ぬまで女に対する探究心」があるだろうということ。
電話する度、会う度に「いい女見つけた?」とオレ。
「ユウ陽ちゃんは?」と白坂氏。
いつも女の話ばかり。
昨日の話じゃ、白坂氏が8月末に大分・湯布院映画祭に招待されたとき、
彼の周りにいい女が群がってきたそうだ。
その昔、グループサウンズ全盛の頃、オレは歌手としてステージで演奏しながら
「今夜はあのナオンにすっか!」とうそぶいていたものだ。
ナンパ失敗率は消費税あまりだったが、
俺が相手にする淋病持ちのしょんべん臭い女たちと、白坂氏に群がるモデルや女優とはクラスが違う。
まあ、そもそもオレ達二人は女の好みがまるで違う。
白坂氏はでかいどんぐりまなこで若干ぽっちゃり顔が好き。
オレは涼しげな眼で細面タイプ。
でも共通しているのはエロくないとバツだということか。
だからといってエロくてもそこらへんのキャバクラ嬢や倖田○未みたいのじゃダメ。
若干、気品がなきゃNGなのだ。
とにかく、オレ達は己のことを棚にあげて云いたい放題。
ところで、白坂氏も前出の桂氏も、今後結婚するつもりはないらしい。
白坂氏はバツ1だが、桂氏はずっとシングルを通している。
その昔、桂氏に仕事に誘われたとき、ダチに「よせよ、ケツを掘られるぞ!」と忠告
されたものだ(桂氏のためにも断言しておくが、彼はゲイではない)。
当時は桂氏に襲われたらどうしようと悩んだこともあったが、
オレが若かった頃、バンドマンとして食えずにいたとき、男娼に貢がれた経験があったので、「まあ、なるようになれ」と腹をくくって桂氏と仕事をした。
しかし魔の誘いはなかった。
若い俺を誘わなかったのだから、彼がストレートだということに間違いはないだろう、
たぶん。
だからといって、桂氏は女にうつつを抜かすような人じゃないのだ。
自己愛が強く、映画に恋する万年青年だ。
オレみたいなダメ男で寂しがりや、女がいなければ生きていけないのとは
えらい違いだ。
いや、ちょっと待てよ。
もしかしたら、ある日突然、桂氏も白坂氏も結婚すると言い出し、
それぞれの連れ合いをオレの前に連れてくるかもしれない。
世の中、何がおこるかわからない。
いつ、大穴が出るかわからない。
政権だって、民主党に変わったんだし。
まあ、とにかく、将来、白坂氏、桂氏、オレの3人プラス本妻、愛人、子供、孫etc。。。
みんな連れて豪華客船で船旅にでも行きたいもんだ。それには長生きしてもらわなきゃ。
オレも毎日のストレッチ体操に精が出るよ。
弾き語りとして活躍していた30代の頃のオレ
2009年9月23日(水曜日)
相変わらず二日酔いで眼を覚ますと、なんと!なんと!!
オレの息子が朝立ちしてるじゃないか?!
二ヶ月に一度あるかないかというのに。朝立ちするのには、それなりに理由がある。
昨夜エッチしたか、オナッたかのどちらかだ。でもそれもなかったのに。
――数秒、沈黙して思考回路を回す。そういえば、昨夜はオレが経営する自由が丘のお好み焼きやさん<すみれちゃん>のお客で来ていた若い女の子達と合流。盛り上がった。
その中に店でバイトしているRがいた。この男はオレのダチで、その昔、
大手映画会社のプロデューサーとして活躍していた。Rはアラカン近くの歳になるのにいまだ独身だ。
オレの周りにはいい歳こいてシングルの男女がうようよしているのだ。
顔は悪くないのに異性に縁がない奴らは、
己にたいしたとりえもないのに、高望みがすぎる傾向がある。
若千、話がそれるが、オレの肩書きのひとつに<人生セラピスト>がある。相談の内容は、
家庭のトラブルや人生に行き詰った話、でも殆どが恋愛相談だ。相談者は、
だいたいが他人には厳しいくせに、己のことには甘いということだ。
そういう人は、必ず<オレは(もしくは私は)面食いじやない>と言いながらも、
結局は<頭が良く、イケメンで稼ぎのある人(もしくはきれいで優しい人)、最低でも>と抜かしやがる有様だ。
オレの格言:「時には妥協すべし」である。
話を元に戻すと、プロデューサーRは必ず、その場にいる一番いい女をくどく。
それは男として当然なことだけど、その女がRに気がない場合が問題だ。Rは己が気に入った女が自分をどう思ってるのか、
全く読めない男だ。オレはどんな女でも、会って3秒でその女がオレに気があるかどうか察知する。
これまでの経験の賜物か?!(自画自賛)
もてない男は察知力ゼロだ。そういう輩は相手のことも考えず、ダラダラくどいて、一歩間違えばストーカーになりえる。
だが、捨てる神あれば、拾う(救う?)神もいる。Rのほうに気がなくても、ほかの女が彼に興味を持つ場合が多々ある。
その女は十中八九、Rが気に入っている女よりも器量が落ちる。
でも、Rは一番いい女を見ているから、2番手がまあまあ良くても、
その2番手、もしくは3番手に見向きもしない。自分に興味を持ってくれているにもかかわらず。
Rがくどきかかっている女は「高嶺の花」なのだ。
まるで一般人のRが、芸能人の深キョンを追い掛け回すようなものなのだ。
もう一度、念を押しておく。<人生は身分相応が肝心だ>
またまた話を最初に戻そう。
オレが朝立ちしたのはきっと若い娘と飲んで、語ったからだろう。
若いエキスを吸って、挑発されたに違いない。まだオレの息子はまんざらでもない。
何かの刺激を与えるとまだ使えるということだ。
オレがそのことを思い出して、ほくそ笑んでいたら、若い配偶者が怪訝そうにオレの
顔を覗き込む。
「3人目も作ろうか?!」とオレ。
「バカじゃないの。まだ2人目も産まれてないのに。あのときもバイ○グラの力を借りたくせに!」
と切り捨て、もうすぐ破裂しそうなデカ腹をさすって反撃する。
世の男性の浮気の時期が、妻の妊娠中・・・というのもうなずける。
「綾瀬はるかならバイアグラなしでも出来る!」・・・と、オレの中の悪魔の声が心の中で絶叫した。
2009年9月24日(木曜日)
オレの生活は、早朝六時か七時頃寝て、夕方、やおら起き上がる生活パターンだったが、ガキが出来てから深夜三時か四時頃眠る。
起きるのは、判で押したようにいつも午後一時頃だ。
いつものようにストレッチ体操をしながらテレビをつける。昼下がりのオレの楽しみは、
日テレ系列「情報ライブ ミヤネ屋」を見ることだ。この番組を見れば、日々のニュースがよく判る。新聞いらずだ。
今までイヤというほど、この類のワイドショー兼ニュース番組を見てきたが、「ミヤネ屋」は圧巻だ。
それはひとえに司会の宮根誠司の功績大だ。
リズミカルなテンポのよさ、ゲストコメンテーターに対する仕切りの良さ。
ゲストのキャラクターの良いところをうまく引き出す間の良さ。何よりも優れているのは己を捨てて、バカになりきっている(いい意味で!)ところだと思う。
今では「ミヤネ屋」のファンのオレだが、初めの頃、この番組がかかった途端に他のチャンネルに変えたものだ。
オレは関西弁を聞くと虫唾が走るくらい気分が悪くなった。
北海道・小樽出身の田舎者のオレにとって、関西弁の独特のイントネーションが人を小馬鹿にしたような感じがした。
しかし、宮根誠司のしゃべりを聞くようになって、オレの偏見も消えた。
まあ、彼は島根出身で、真の関西弁ではないかもしれないが。。。
あくまでも「好き」「嫌い」は、その人の人柄によるところが大きいと改めて知らされた。 その昔、オレがミュージシャンとして全国をドサ回りしていた頃、関西出身の女とは長続きしなかった。
いくら容姿が良くても、エッチしている最中に関西弁でまくしたてられると、オレのテクニックや息子を卑下されているような気分になったものだ。
今思えば、オレの変なコンプレックスだったに違いない。
宮根誠司の良さをわかった今なら、偏見抜きで関西の女とも付き合えるはずだ。
そうだ。出たがりのオレが何かの間違いで(?!)「ミヤネ屋」にインチキ人生セラピスト兼脚本家のコメンテーターとして出演依頼されたら、関西の女と知り合えるチャンスもあるし、またまた何かの間違いで付き合えるかもしれない。
そうなれば、オレの関西弁アレルギーもますますなくなるということだ。
と、ここまで書いてオレが妄想にふけっていたら、若い配偶者が2階から降りてきてほざく。
「ねえねえ、歌舞伎俳優の○○と若いXX付き合ってるんだって。年の差15以上だって」
「ウチのほうが年の差は負けてないよ」
「パパ、もう知ってた、この噂?」
「とっくに知ってるよ。」
「なーんだ。いち早く教えてあげたのに」
と、失望のため息を吐く。まるでこの世の終わりみたいな顔する若い配偶者を横目で見るにつけオレは、若千気の毒になった。
ああ、これからは、知っていても知らないふりしてあげよう。
親子ほど歳がはなれているのにムキになっていたオレが恥ずかしくなった。
これからは、なるべく知らないふりをすることにした。それが家族円満のコツなのかも。
オレはいつもデリカシーがないとか、年取っているくせに子供じみてるとか批判されていたので、少しは、若い配偶者のいうとおりにすることにしよう。とは云え、一抹の寂しさも拭えなかった。
空虚感が心に広がると、いつの間にかオレは、己の一物を機関銃のごとく、しごいていた。
2009年9月25日(金曜日)
昨夜の夕食は、家族全員で中華料理を食べに行くことにした。全員といっても、若い配偶者と二歳半の息子。配偶者のデカ腹から今でも飛び出してきそうな二人目のガキ<伸太郎と命名予定・11月初旬予定日>とだ。
妻と二人の時は居酒屋でもイタリアンでも、どこにでも食べに行くことができたのだが、ガキが一緒だと行く店が限定される。ガキに寛容な店の経営者ならともかく、ファミレスしかない。オレの庭・自由が丘の店には「小学生以下お断り」「ベビーカーお断り」の店が多い。
ガキがぐずり、泣き出すと、途端に周囲の眼が冷たくなる。
「うるせーガキだなー、親がどうにかしろよ」とでも言っているようだ。
こういう冷たい視線を投げかける人は、子育て経験がない人が多い。
子供に対して好意的な人たちは、一度でも子育てしたり、親戚などに小さい子供がいて事情をわかっている。
こういうオレも、子供がいないときは批判する側にいた。大いに反省。
親だから自分の子が可愛いのは当たり前。だが、放り出したい気分になるときもある。
親のオレでさえも、ぐずられたり、大泣きされるとそう思うのだから、他人が不愉快になるのもしょうがない。
そこでオレは、小さな子供連れの家族が他人の目を気にせず、楽しく食事できるレストランを開きたいのだが、何せ資本がおぼつかないし、自由が丘の街にはそういう場所がないので断念せざるを得ないが、この日記を見ている人で、いい物件を持っている、もしくは知っている人はぜひ連絡下さい!
ガキの話を続けるとしよう。心配ごとが一つある。
もうすぐ2人目の息子が誕生する予定だが、妻がお産のために10日間ぐらい入院する予定だ。オレ達夫婦には近くに長男を見てくれる親族がいない。
必然、オレが息子を24時間世話しなければいけない。
しかし、オレは身体が弱いし、頑固だから、自分のペースを絶対に崩せない。
そのことをめぐって、妻と何度も大喧嘩したが、一人でもガキをあやせるようにと努力したものの、いつもギブアップ。
今でさえ少しおさまったが、息子は一度泣くと泣き止ませるのに本当に苦労する。
妻が乳をくわえさせるとだいたいは泣き止むので、昔見たロバートデニーロの映画を思い出し(デニーロは擬似おっぱいをつけてあやしていた)、オレも自分の乳首を差し出してみたが、失敗に終わった。
普通は1歳か1歳半ぐらいまでに断乳(おっぱいをあげるのをやめること)をするらしい。
妻も息子に虫歯ができるのを心配してやめようと思ったこともあったが、周りのママ友達に「野口英世は5歳までおっぱいを飲んでいたらしい」と言う話を聞いて、無理にやめさせることもない。と今の今まで乳をあげている。甘やかしと言われればそれまでだが、この方針が失敗だったのかどうなのか。この先、過度のマザコン&おっぱい星人にならなければいいが。でも男に走るよりはいいか。オレのDNAを受け継いだ息子だから必ずや女好きになるに違いない。と確信してる・・・若千、自信ないけどな・・・。
2009年9月26日(土曜日)
昨日に引き続き、2歳半の息子の話を続ける。オレの悩みは深刻だ。
妻が11月に2人目を出産するのに、10日間ほど入院するが、果たしてオレと一緒に寝てくれるのか???
今までどこに行くにも、何をするにも母親と一緒じゃないとダメな息子。
ある日、家の2階にあるビデオデッキが故障して、息子が好きなNHK教育テレビの子供番組のテープを見られなくなった。
仕方なく、1階のオレの寝床にあるテレビデオで見せることにした。
その日の夜は昼寝をたっぷりしたせいか、夜はなかなか寝なかった。
妻は疲れて2階のベッドに行ってしまったため、しょうがなく一緒にビデオを見ていると、うたのおねえさんの中にいい女を発見した。
「あのお姉さん、可愛いな」とオレ。
「こっちのお姉さんのほうがいいよ」とガキ。
よく見ると、ガキが指差したお姉さんのほうがバツグンにいい女だ。
2歳半にして女のよさが分かるなんて、この先が恐ろしい。
「あのお姉さん、なんていう名前だ」とオレ。
「たくみおねえさんだよ」とガキ。
オレが気に入っているテレ朝の上宮菜々子アナウンサーに似ていて、癒し系美人だ。
「もう少しエロさがあればな〜」とブツブツ云うオレの今一番の一押しは、TBSの膳場貴子アナだ。云っておくが、オレは正統派美人が苦手だ。
自他共に認めるマニアック好みだ。スタイルが完璧でないところが変にエロ&グロでグッド。顔は色白で、とにかく気品が漂っているのが良い。
若い女優なら綾瀬はるか。天然ボケの中に芯の強さがにじみ出ているところがいい。
そういえば、ミヤネ屋の司会の宮根誠司もオレと同じようなことを言っていた。
そうこうしているうちに、2階に上がっていった妻はもう寝ていた。
オレが息子に2階に行って寝なさいと促したが、耳を疑うようなことをほざいた。
「ここでパパと寝るよ」
オレは息子の言葉を信用していなかったが、なるようになれとヤケのヤンパチでベッド横の冷蔵庫に手を伸ばし、缶ビールを立て続けにあおった。
―――――――― 朝、オレが目を覚ますと、なんと横に息子が寝息をたたているではないか!!
初めて母親なしでオレと一晩過ごすことが出来たのだ。
ニヤッとしたのもつかの間、「ママ〜、ママ〜、どこ〜」と甘え声の息子が目を覚ました。
そして「ちっち、ちっち」とガキ。
どうやら、おもらししたらしい。
オレは急いでパンツを取り替えようとした。
「ママじゃないとやだ〜」と拒んだが、そんなことには構っていられない。
おしっこたっぷりになったパンツを脱がせた途端、オレは驚いて顔色を失った。
ぐずっていた息子のおちんちんがおったっているではないか!?
今にも破裂しそうな立派な息子の息子だった。オレが面白がって触ってみると、
息子が「かて〜(固い)」と寝ぼけながらつぶやいた。
その反面、オレの息子は申し訳なさそうに縮こまっていた。
息子が日一日と成長するのは喜ばしいことだが、逆にオレは身長も2〜3cm縮んだし、
ちんちんも役立たずになってきた。
そう思うと嬉しさと寂しさが入り混じって複雑な心境になってきた・・・。
2009年9月27日(日曜日)
脚本家・故井手俊郎氏の門下生仲間と吉祥寺で飲むことになった。
20数年前は門下生が常時30人前後、連絡を取っていたが、今で7〜8人に減った。
今夜一緒に飲むのは、オレと水戸黄門等を書いている岩田元喜氏、昼帯ドラマを書いている浪江裕史氏、大手制作会社の元プロデューサー・新井千恵子氏の4人だ。
今までオレは素晴らしい先輩達に恵まれた。井手氏のほかに、デビュー作の共作者・桂千穂氏。桂氏に紹介されたのが、故小川英氏。
小川氏とは、昔、毎晩のように飲みながら叱咤激励されたものだ。
「若月、お前さん、まだまだ本物じゃないな」とオレが書くものにダメだしされたことを今でも忘れない。
そして小川氏のパーティで知り合った柏原寛司氏。
柏原氏とは彼の八ヶ岳の別荘に良く行って作品を書き、その後お酒をご馳走になったものだ。
話を井手氏に戻すが、彼の授業内容は雑談がほとんどだった。自分が見た映画についての批評や、人生論など。オレが今でも強烈に覚えているのが、フランス映画「舞踏会の手帖」の話を聞かせてくれたときのこと。1937年、巨匠・ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品だ。内容は若く美しく、金持ちで子供のいない未亡人が20年前(1918年)、初めて自分が舞踏会に出た時の手帖をもとに、そのパートナーたちをたずねていくストーリー。
この映画の話が出た1週間後、井手氏はオレの顔を見るとすぐに感想を聞いた。
「感動しました」と単純な返答をしたオレに井手氏は微苦笑しながら、
「若月君、20年後にもう一度見てご覧」と優しい口調で言った。
そして、今、仲間と飲んだ後にもう一度「舞踏会の手帖」を観た。
観終わった後、その場を動けなかった。当時は感動したと陳腐な答えしか出来なかったが、とにかくオレの年齢になると、心に直球で染み渡る切ない映画だった。
井手氏の意地悪そうなニンマリとした顔がオレの目の前にちらついた。
その晩はなかなか寝付けなかった。
今まで知り合った男達や女達を思い出してはアタマから消し、消しては思い出した。
男の知り合いは仕事や感性の違いで疎遠になったりしたが、女は色恋沙汰で離れていくのが殆どだった。
今までオレは、女とは生きるの死ぬのといった修羅場をくぐってきたことは皆無だが、
心中は穏やかではなく、それでも笑ってさよならしてきたつもりだ。
しかし、こうして「過去」を振り返ってみると、フラれた女ほど、頭の隅に残っているものだ。
「あの時の、オレのどこが悪かったんだろう・・・」等々、考えていたら、昼過ぎまで眠れなかった。
寝不足で得た結論は「そうだ、俺も「舞踏会の手帖」の真似事をしてみよう」だった。
最良の方法は、出たがりのオレが、人生セラピスト兼脚本家としてマスコミに取り上げられ、何かの番組で「オレの人生にかかわった人、この指とまれ!」とアピールしたい。
フラれた女、オレがフッた女、喧嘩別れした人、オレが借金して踏み倒した人、など。
オレをぶった切ってもらいたい。でもそれは夢のまた夢。
せめて「舞踏会の手帖」のごとく、地道に全国を回って、知り合いを訪ね歩こうと決心した。
手始めに、息子(長男)が4歳になったら、船で鹿児島県の与論島に行こうと思っている。
オレは20代後半にこの島に3年間いた。当時、人口4000人あまり。美しい海に囲まれた島だ。
毎日海を見たり、観光で来る女達をナンパしていた。オレにとってはまさにパラダイスだった。
しかし、はしくれながら物書きになった今、当時の面白い話を思い出した。
島の村長選挙になると、島の住民が立候補者をめぐって真っ二つに別れ、殺し合いをするのではないかと危惧するほど、エキサイトするのだ。
しかし、選挙が終わると、今まで対立していたのが嘘のように、再び普通の生活に戻るのだ。当時、オレはそれがフシギでならなかった。
そのことを書きたいため、シナリオハンティングに行こうと思ったのだ。
すると、勘の良い若い配偶者は「当時、付き合ってた女がいたんでしょ。その人に会いたいんじゃないの」とつっつく。
そりゃアタリだ。機会があったら、その女と再会するかもしれない。
しかし、これだけははっきりしている。
与論島に行くのは、俺のこれからの人生の再出発のためだ、と力説した。
だが、妻も一緒に行くと言う。これから生まれてくるもう一人の息子も連れて。
「私たちは飛行機で行くわよ」
すると長男も「ボクもママと一緒に飛行機で行く」といいやがる。
仲間はずれにされたオレはやり場のない怒りで「勝手にしろ」とふてくされていた。
これから先、子供が成長するにつれて、昔CMで流行った「亭主(もしくは父)、元気で留守がいい」が我が家のスローガンになりそうだ。とにかく、オレはこの家に必要のない人間になりそうだ。せめて今のうちに、自分の好きなことをやろうと心に誓った。
ちなみに、若干、宣伝になりますが・・・
10月5日(月)午後6時半〜の日本シナリオ作家協会の懇親会にて司会を仰せ付かりました。オレは友達がいないので(笑)、このブログを読んで興味がある輩はぜひ声をかけてくれ!待ってるぜ!(特に若い女性!)
悪さをしてた頃の「若月伸次」です。
知り合いの方はご一報を!