シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
    高田 純 (シナリオ作家)

  1947年長崎県出身、1971年慶応義塾大学文学部卒。
  <賞>日本映画大賞・熊本映画祭脚本賞

  ■TV
  「(昼帯ドラマ)熱血ニセ家族(全45話)」
  「(月曜ゴールデン)警視庁三係 吉敷竹史シリーズ1-4」(TBS)
  「(昼帯ドラマ)直子センセの診察日記(全44話)」
  「(火曜サスペンス)六月の花嫁シリーズ」
  「大激闘」「探偵同盟」「華麗なる刑事」他
  ■映画
  「JOKER 厄病神」「人間交差点 不良」「ベストガイ」
  「いつか誰かが殺される」「メロドラマ」「恋文」「初夜の海」
  「ピンクのカーテン1・2・3」「河内のオッサンの唄1・2」
  「安藤昇の我が逃亡とSEXの記録」他


                            


2010年2月15日(月曜日)

午前中いっぱい、持病の定期検診で小田原のK病院へ。
団塊の世代の典型らしく、子供のころに予防注射の使い回しで感染したB型肝炎。
こいつが慢性の症状を顕してすでに十年近く、一向に完治してくれる気配がない。
いつも通りに主治医の問診と触診、注射をしてから薬の処方箋を受け取り、薬局に立ち寄るという面白くも何ともないコース。
巷間、差別を受けることもあるという厄介な病気だが、幸いにもそんな経験はなく、症状も悪化する兆候はないというのが、まあ救いか。

午後は、昨日会った箱根町の有力者との会談内容を踏まえて、このところ進めている箱根を舞台にした某テレビドラマの構想を熟成させる作業。
と言っても局が主導する従来の企画とは違い、こちらからの持ち込み企画ということで、予算その他シビアな条件がライターの仕事以外の領域で、あれこれと枷をはめてくれる。
こんなご時世、愚痴は言わずに一歩ずつ階段を上っていくしかないと言い聞かせ、一度組んだストーリーを壊して、コンパクトに練り直しているというお粗末だ。

ところで、昨日から今日にかけての新聞、テレビによると上村愛子ちゃんと西川何とかという女医さんが、ともに「号泣」したらしい。
と、そんな見出しを目に、たまたま接したテレビの画面だったが、どういうわけかご両人が「号泣」している場面は一切ない。
いや、二人は確かに泣いてはいる。
しかし、あれを「号泣」と表現するのには、幾らなんでも無理がある。

そう、近ごろのマスコミは誰かが泣くと、判で押したように「号泣」と見出しをつけるが、あれはほとんど詐欺に近いのではないか。
私が知るかぎり、「号泣」というのは「大声で泣き叫ぶこと、またはそのありさま」であり、愛子ちゃんの涙も高ピーな女医さんの涙も、断じて「号泣」というたぐいのものではない。

字を書くこと、あるいは言葉を使うことを生業にしている人間が、誰かが泣けば即「号泣」ではあまりに安易というものだ。

慟哭、落涙、血涙。
涕泣、哀泣、感涙。
嗚咽、むせび泣き、忍び泣き。
嬉し泣き、悔し泣き、笑い泣き。
嘘泣き、もらい泣き、すすり泣き。
滂沱の涙、紅涙を絞る、泣き濡れる……ざっと思いつくだけでも、日本語にはこれだけの泣き方がある。

同じことは、「おらが村の」「美人女将」という二つの形容句についても言える。
過疎イメージの土地は、すべて「おらが村」。
温泉宿や料亭の女将は、老若太痩に関わらずすべて「美人女将」。
マスコミのこの単一思考は何とかならないものかと思うが、これはもはや小言幸兵衛の領域に属する、古株ライターの繰り言なのだろうか。(笑)
あ、この(笑)というくくりも、今や死語に近い古さなのかもしれないが……。(爆)



2010年2月16日(火曜日)

神奈川県の西端、「♪まさかり担いだ金太郎〜」という童謡でお馴染みの、M市へ引っ越してきてかれこれ十数年。
その間、幸運にも家を新築することが出来、少なからぬローンも何とか払い終えることが出来た。
が、持ち家を得た喜びは束の間で、このところ東京でのマンション暮らしのころとは違うトラブルに悩まされている。

早い話が家は傷む。
銀行への借金が無くなったころには、しっかりとメンテの代金が加算されてくる仕組みになっているのだ。
というわけで、午前中は業者さんが訪れて壊れたウォシュレットの全交換。
お湯が出ない、温風が吹かない、おまけに水が漏るとほとんど壊死状態に陥っていたトイレが、ようやく息を吹き返して快適この上ないのはいいが、その分十万円に近い手痛い出費となった。

以後、外壁の塗り直しに屋根、手すりの塗り替え。壁紙の張り替えにカーテンの交換と、決して安くない出費が目白押しで頭が痛くなる。

などとぼやいているところに、ベテラン俳優のOさんから電話。
子役出身の長いキャリアを誇る役者さんらしく、そろそろ自分で映画を監督してみたくなった。ついては高田さん、ホンを書いてくれないかという依頼を受けたのが一年あまり前のこと。
以来、舞台となる長野県の伊那地方にシナハンを敢行したり、箱根で打ち合わせと称した温泉三昧にふけったり、我が家でプロットおよびハコ作りの合宿を行ったりと、Oさんとは結構濃密な付き合いを続けてきた。

で、その話をいよいよシナリオに起こそうというわけだ。
但し、スポンサーはまだ決まっていない。
大手の映画会社東(映の方か宝の方かはノーコメント)は、どうぞお撮りください、喜んで配給させてもらいます。ただ念のために言っておきますが、制作費は一円も出せませんというスタンスで、かつてのプログラムピクチャーを量産していた、娯楽映画の殿堂とは思えぬシビアさである。

という仕儀で、責任感の強いO氏のことだから、まるっきりただ働きという事態はあり得ないだろうが、当面ノーギャラでの執筆を覚悟しなければいけないかもしれない。
本来シナリオライターというのは、字を書くことで禄を食む人種で、報酬が見込めない字を書くのは矜持にもとるのだが、これも時代の趨勢か。
出来上がったシナリオを各方面に読んでもらって、乗ってくれるスポンサーを募るという、正直、ライターにとっては何とも生煮えの出発点である。

と、そんなこんなで、来週の水曜日にOさんと会って、詰めの打ち合わせをした上で第一稿の執筆開始という段取りになった。
まあ、何だかんだと文句を言いながらも、こうやって字を書くことが出来るだけ幸せなのだと、無理にでも自分に言い聞かせながら、生涯あと何本かのシナリオを書いてみようと期しているところである。

※今日は「帰れコールの屈辱」とでも題すべき、近ごろバッシングを受けている人物たちにかこつけた一文を書こうと、パソコンに向かったのだが、紙数が尽きた。以下は明日ということで……。



2010年2月17日(水曜日)

原作を読んだ瞬間、「これを映像化したい!」と身震いする作品がある。

ここ数年の例で言えば『A』『B』の二作(両方とも仮題)がそれだった。

『A』のときは監督、プロデューサーと三人で直接原作者に会って、映画化の承諾をいただきたいとお願いした。『B』も某昼帯のプロデューサーに、これを絵にすれば絶対に面白くなりますと、結構まじめに提案した。

いずれも、同時期に同じ企画を立てた炯眼の士がいて、力関係からそちらに権利を持って行かれたことが、今も屈折として残っているが……。

と、そんないきさつはともかく、その二作品を虚心坦懐に観てみようと、平常心を言い聞かせながら劇場に出かけた。
違うと思った。オレは断じて、こんな映画を観るために遠方から東京まで足を運んだわけじゃない。

あの卓抜な原作を、あの魂のこもった思いの丈を、どうやったらここまで換骨奪胎できるのだ。これではまるでテーマが正反対じゃないか。

と、じつはここからが本論で、私自身そんな批判を受けた経験が何度かある。

例えば、最近スカパーで再放送していた、高橋克彦さん原作の『ミイラが呼んでいる』(テレビ東京系2H、原題は『即身仏の殺人』)。

局およびスタッフ・キャストからは、いい作品ができたと大好評だったドラマもトーマが違う、チョーサクが違う、亜里紗が違うと、熱烈な原作者ファンに当たるを幸いなぎ倒す、手厳しい批評を浴びせられた。

その後に書いた、島田荘司さん原作の『寝台特急はやぶさ・1/60秒の壁』(TBS系2H)でも、まったく同じことがあった。

吉敷が違う、通子が違う、テンポが違う。
関係者には、クォリティの高い2Hが出来たとの評価だったにも関わらず(独特の残酷描写に眉をひそめる向きもあったが)、こちらもやはり一部の原作者ファンには散々の悪評だった。

とは言え、もはやそれは想定の範囲内。
よくあることと受け止められる小狡さを身につけた業界人には、驚くに当たらない反応だったのだが、それとは別に、今でも深いトラウマになっている出来事に若いころ直面したことがある。

NHKのFMラジオで放送した、ステレオ劇画『ポーの一族』。
言わずと知れた少女コミック史に燦然と輝く、萩尾望都さんの名作である。

その名作を私が脚色し、安奈淳、遥くららという宝塚出身の女優さんが演じ、BGMにはこれぞ『ポー……』の世界だとばかりに“タンジェリン・ドリーム”をフィーチャー、満を持した自信作として世に問うた。

後にその反響の便りを、NHKのスタッフに見せてもらったときのこと。
文面はハッキリと三つのタイプに分かれていた。

一つは、まったく予備知識なく聴いた一般のファン。
この人たちは、こぞってドラマの出来に好意的だった。
脚色、演出、キャスト、音楽、そして音響効果を計算し尽くした効果音。
どれも大変楽しく、堪能させてもらいましたと。

もう一つは宝塚ファン、とりわけ安奈さんと遥さんのファンの人たち。
この方たちにも、面白かったとほぼ手放しのお褒めをいただいた。
私自身も、さすがは宝塚でトップを張っていた女優さんだと、その演技力に舌を巻いた覚えがある。

そして最後が原作者ファン。
これが何というかひたすら悪罵の連続で(笑)。

「望都様のあの神聖な原作を、どうしたらここまでひどい作品に出来るのか」

「宝塚の女優が望都様の作品の主人公とは、あまりにもイメージが違いすぎ。アランは××さん、エドガーは○○さん(二人とも現役の有名声優)以外に考えられない。NHKのセンスを疑う」

「このドラマを作った人たちは、望都様の作品を読んだことがあるのか。何から何までが最低で、二度と聴きたくない」

少なくともあなたと同じくらいには、あるいはあなたよりももっと、萩尾さんの作品は読んでいると自負しますが……。

宝塚のお二人のエドガーとアラン、ポーツネルとシーラ、そしてクリフォードとメリーベルの演じ分けは、見事としか思えませんでしたが……。

私自身も大好きな原作に、宝塚とプログレッシブ・ロックを重ねた、良質なコラボを企図したのですが、お気に召さなかったでしょうか……。

言いたいことは幾つもあったが、愉快そうに笑うスタッフの余裕に脱力し、傷ついた心を隠したまま談笑を続けた記憶がある。

映画と原作は違う。巷間よく言われるその言葉に、私は必ずしも与しない。
映画(ラジオドラマ)は原作のテーマを、より映像的(音響的)に敷衍したものであるべきだ。(オリジナルの場合にはこのテーゼは当てはまらないが)

どんな名作といわれる原作にも、映像化するには馴染まない部分が必ずある。
そこをどう映像として表現するか、あるいは改変するか、極端に言えば捨て去るか、そんな相剋の中でスタッフたちは苦闘している。

それが個人的に思い入れのある原作なら尚更だ。

だが、その思いがファナティックな方たちに通じることはあまりない。
それが証拠に、かく言う私自身が『A』『B』の二作については、全然イメージと違うものを作りやがってと、今でもどこか根に持っているのだから。(爆)



2010年2月18日(木曜日)


朝起きると、窓の外は一面の雪景色。
今日はもう一つの持病、心臓関係の定期検診と薬の処方、その他もろもろの雑用で外出する予定だったが、迷うことなくキャンセル。
文字どおりの日和見で、すべてのスケジュールを明日に日延べした。

というわけで、日がな一日部屋にこもって、来週会う某大物マネージャーさんと進めている企画シナリオ、その第一稿の直し作業に没頭する。
何せ、二百字ペラ換算で三百枚がギリの原稿が、四百枚近くの大長編になっていて、百枚分をバッサリと切らなければいけないのだ。
それにしても、人の原稿は容赦なくカットできるのに、自分が書いた字はどうしてこうも、切るのに躊躇してしまうのか。(O.O;)

そんなこんなで、今回は「書かないセリフ、もしくは生理的に受け付けないセリフ」についての短い考察を――。

「あんたなんかにあたしの気持ちが分かってたまるもんですか!」

ある種の関係が極まったときに吐かれる、定番中の定番の憎悪ゼリフ。
パターンは真実をついているからパターンなのだとは、私の反面教師だったAプロデューサーの言葉だが、このセリフはその典型で恐らく何千回、何万回とドラマの中で吐かれてきたフレーズだと思う。

でも安い、そして寒い。

「お前ってやつは」

これも相手に呆れ、失望したときに出る定番のフレーズ。
特に昼の帯ドラマでは、↑のセリフとともに1クールに何回かは必ず出てくる決めゼリフで、時には「お前ってやつは、お前ってやつは……!」とリフレインされるケースすらあった。

この後には、決まって相手の胸を叩いたり平手打ちを食わせたりする動きがつくのも定番だが、やはりチープで気恥ずかしくなってしまう。

「こいつう」

にっこり笑って、相手のおでこをつつくときのセリフ。
感情の行き違いが解消して、お互いの気持ちが通ったときの、究極の言い回しだがいかにも嘘っぽい。
お笑いの世界でもパロディにされているのが、何よりの証拠か。

あと、最近では「半端ない」という言い回しが大はやりのようだが、これも「半端じゃない」と、略さずに書きたいところだ。

そしてもう一つが、ご存じ“ら抜き言葉”。

先日、何気なくNHKの教育テレビにチャンネルを合わせると、ある大学教授が講義をしていて、その様子にちょっと驚いた。

「大部分は“避けれる”事故なんです」
「こうなると“逃げれない”んです」
「昔のシャッターは、途中で“止めれない”構造になってるんです」

等々、発する語句の悉くが“ら抜き言葉”で、耳障りなことこの上ない。
年格好から察するに、私とそう年令はかわらないと思われるのだが、大学で若い学生たちを相手にしているうちに、いつの間にか“ら抜き言葉”に抵抗がなくなってしまったのだろうか。

以上、島田荘司さんの名作『ら抜き言葉殺人事件』を脚色するとき以外には、ら抜き言葉は書かないと心に決め、未だに「食べれる、喋れる」のあのCMコンビニには、日本語を乱す元凶として入らないと誓っている、無駄に頑固なライターの世迷い言でした。(#^_^#)



2010年2月19日(金曜日)

スカパーの「日本映画専門チャンネル」より電話あり。
今春に“神代辰巳特集”を企画しているのだが、某方面から27日(土)に“神代さんをしのぶ会”が催されると聞いた。
ついては、その取材をさせてもらえないかという。

神代さんが亡くなった翌年から、生前親交のあった者たちが集まって、毎年命日近辺にささやかな“しのぶ会”を開いてきた。
参加者は十人ほどの小さな集まりだが、中核メンバーの白鳥あかねさんさえ良ければと返事をして、幹事の山田耕大に手配を頼む。

というわけで、久しぶりのうららかな陽光に誘われ、このところキャンセル続きだった所用を一気に片づけようと外出。
先ずは、先日の雨の休日に庭でスリップ転倒、市民病院に担ぎ込まれた家人の治療費清算を済ませ、その足で自分の処方薬をもらって、ついでに肝臓の強ミノ注射を済ませる。

プリンターのインク等、溜まっていた買い物を済ませた午後は、神戸から上京中のシナリオ通信講座受講生、Mさんと小田原駅で合流し、俄か仕立ての“個人授業”を二時間あまり行う。

今月の「月刊シナリオ」に掲載されている、氏のプロットがシナリオになったその出来ばえについて、微に入り細をうがつ批評を展開。
ほぼ初対面に近い相手との、二時間強を差し向かいの真剣勝負に、いささか疲労しながらも、M氏の労作がさらに目の覚めるような改訂稿になって、日の目を見る日がくることを期待しつつ、夕刻に帰宅する。

                 ☆

「三十になったらやろう」

女の達人と評された、神代さん得意の若い女の子口説きの必殺フレーズを、私も一時期借用していたことがある。

「クマちゃーん、三十になったよお!」

某大女優はある日撮影所で、そう叫んでクマさんに飛びついてきたと聞くが、とんとそういう体験がないのが、“神代学校落第生”と自称せざるを得ない所以なのだと、不肖の弟子は自分を笑いながら、来週の一年ぶりに会うあの人この人との再会を楽しみにしているところである。



2010年2月20日(土曜日)


電車で行くにはちと不便。
かといって歩きじゃ幾らなんでも遠すぎる。
そんな不便な場所へ顔を出す野暮用があって、久しぶりに愛車の二輪SUZUKI・KATANAに火を入れる。

ガレージからマシンを引き出したときには、連日の寒さでバッテリー上がりを覚悟していたが、チョークをいっぱいに引いてイグニッションを回したところ、弱々しい火花ながら何とかエンジンON。
で、片道6キロの目的地を遠回り、充電のために往復四十キロあまりを走るという、寒空の下のミニツーリングになった。

そう言えば、以前、島田荘司さんのオートバイ小説『夏・十九歳の肖像』を、作者自身が脚本監督する話が持ち上がって、第一稿まで出来上がりながら、諸般の事情で立ち消えになってしまったことがあった。

いつか、その島田さんと会食したとき、一本のシナリオを書く際にはそのドラマのテーマ曲、あるいは主人公のイメージ曲を決めてから、執筆に取りかかるという話題になったことを思い出す。

早い話が、その折りに撮影していた『寝台特急はやぶさ1/60秒の壁』のシナリオは、ボブ・マーリィの『I SHOT THE SHERIFF』を聴きながら書いた。

主人公の吉敷刑事の、携帯の着メロは何だと考えたとき、自然に浮かんできたのが自らをシャレのめす彼のキャラクター、「♪I SHOT THE SHERIFF〜」と自分を韜晦する、かの名曲だったのだ。

同席した編集者氏は、その話を聞いてエリック・クラプトンのカバーを思い浮かべたようだが、かつて新宿厚生年金会館で、ウェイラーズのライブに接した貴重な経験をもつ私には、『アイ・ショット……』とくれば元祖のボブ・マーリィをおいてほかにない。

同じように、『ピンクのカーテン』の美保純ちゃんには「♪昨日さがしたアイウエオ いつか忘れたカキクケコ〜」と三上寛さんの知られざる名曲(『太郎と花子の恋物語』)を唄わせた。

他のロマンポルノでも「♪牛のように豚のように 殺してもいい〜」(『諦念プシガンガ』)と戸川純ちゃんを口ずさむヒロインを設定し、某昼帯では悩めるヒロインのテーマ曲を、「♪笑って〜笑って〜 笑ってキャンディ〜」と『キャンディ・キャンディ』のアニメ主題歌に据えた。

その人物のテーマ曲が浮かんだときに、自分の中でキャラクターが出来上がる瞬間があるというのが、我が手の内というわけだ。

と、そんなこんなで、現在取りかかっている作品のテーマ曲として、いまは大上留利子さんの『大阪で生まれた女』、

そしてエタ・ジェイムスの『I'D RATHER GO BLIND』を交互に聴いている。

このセンチメンタルな二曲のブルースがまた、近ごろめっきり涙腺の緩んできたオヤジの、琴線をくすぐってたまらない。

特にエタ・ジェイムス。
伝説のハスラーの隠し子と伝えられる、この稀代のブルース歌手は、あの“なめて紅頭巾”=天童よしみと双璧をなすのではないか。

え? いや、冗談じゃなく結構本気で言ってます。
それが証拠に、二人ともまぎれもない“天才歌手”であり、何よりその容貌においても“双子”のような(以下自粛)……。

おっと、そうこうしている内に、曲はB.B.KINGの『THE THRILL IS GONE』に替わった。うん、今更だがこのオッサンもいつ聴いても渋い。

しばらくはブルース三昧のなかで、柳ジョージばりに「♪古い回帰の上をさまようか〜」と『プリズナー』を気取ってみるのも悪くなさそうだ。

似合わない二枚目指向に乗って、少しは筆が進むかもしれないし。o(^o^)o!



2010年2月21日(日曜日)

一週間の約束で書き始めた、私の担当日記も今日で終わり。
最後の日くらいは色っぽくいこうというわけで、このところ贔屓にしている舞妓ちゃん、芸妓さんについて書こうと思う。

と言っても、すべてが“花代”と称するご祝儀で成り立っている世界。
自分の財布でなど遊べるはずもなく、さるお大尽の後ろについてのおこぼれ風楽屋話だから、そこのところは悪しからず。(^_^X)

京都には“五花街(ごかがい)”と呼ばれる、五つの花街がある。
ご存じ花見小路を中心に、四条通りを挟んで南北にまたがる“祇園甲部”。
八坂神社のたもとに広がる“祇園東”。
南座の裏手、鴨川沿いに五条まで下がる“宮川町”。
四条大橋を渡って、対岸を三条まで上がる“先斗町(ぽんとちょう)”。
ぽつんと離れて、北野天満宮の参道に並び立つ“上七軒(かみしちけん)”。



写真を貼り付けるのは初めてなので、どういう風にレイアウトされるのか分からないが、一枚目に写っているのは、その内“宮川町”の屋形『高よし』に所属する、舞妓の“たね若”ちゃんと“たね寿”ちゃんの二人。



二枚目は見たとおり。



で、三枚目は去年の暮れ、その“たね寿”ちゃんが舞妓から芸妓に“襟替え”して、“お姉さん”になった記念すべき吉日の写真。
昨日までおぼこさを売りにしていた舞妓が、一夜にして女の香りを漂わせた艶姿に変身する瞬間が、一目瞭然の貴重なショットだ。

ちなみに、もう一人のまぶしい芸妓さんは、奈良の花街元林院(がんりいん)からお祝いに駆けつけた、“菊乃”さんお姐さん。

ついでに言うと、一枚目の妹舞妓“たね若”ちゃんも、つい先日十八歳の誕生日を迎え、髪型を“割れしのぶ”から“おふく”に替えて、お姉さん舞妓へと昇進した。まだ十五才、“仕込み”の少女時代から彼女を知る者としては、そこはかとない感慨に包まれている今日この頃である。

ところで、ここ数年その京花街を舞台にした映画、テレビドラマが量産された。

その嚆矢となったのが、チャン・ツィー、コン・リーが“GEISHA”を演じた、大作ハリウッド映画『SAYURI』。
あまりにも目茶苦茶な舞台考証(花街と色街の区別すらついていない)と、今はすたれた“水揚げ”という習慣を、ことさらスキャンダラスに取り上げたドラマ構成に、五花街がこぞって怒り心頭に発し、二度と映画のロケには協力しないという声すら上がった記憶も新しい。

では日本映画で捲土重来を……という志などとは無縁のところで、次に軽く登場してきたのが、柴崎コウちゃんの『舞妓haaaan!!!』。
はなからリアリティを無視した作りに、個人的には、もっとはじけた方がさらに突き抜けて面白くなったのにと、アナーキーな感想を抱いたが、これも花街界隈では『SAYURI』以上に悪評ふんぷんだった。

井上真央ちゃん主演の『花いくさ』(フジテレビ系)はちょうどそんな苛立ちが花街を席捲しているときで、ほとんど撮影協力が得られず、浅い絵づくりと物語の表面をなでただけの、退屈な凡作になってしまった。

で、最後に満を持して登場したのがNHKの朝ドラ『だんだん』。
祇園甲部の歌舞練場をロケセットに使う全面協力、京舞井上流五世家元・井上八千代師じきじきの舞い指導。
今度こそはと、花街が懸ける強い思いを背景に始まったドラマだったが、残念ながら狙いが絞りきれず、竜頭蛇尾で先細り。
私が知るかぎり、後半には花街の関係者はほとんど誰も観なくなっていた。

さて、ならばここは、多少なりとも京花街事情を知る私の出番である。(笑)

と言うか、じつは上記のお大尽にレクチャーを受けながら書き、すでにラストシーンまで通っているシナリオが、一冊手元にある。
手応え的にはまだまだの準備稿だが、どなたか興味があるからスポンサーになろうという奇特な方が現れれば、すぐにでも“本格娯楽京都花街エンターテインメント”として、決定稿にする用意があるのだが……。

って、結局最後まで金の話かい。ヽ(´▽`)/


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