シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
    大津一瑯 (シナリオ作家 )

  同志社大学文学部卒業。東映京都撮影所を経て、
  フリーのシナリオライター。主に関西を拠点に、
  「忍者百地三太夫」「恐竜怪鳥の伝説」「武闘派」「残侠」等劇場用映画。
  「柳生一族の陰謀」「忍者服部半蔵」「必殺仕掛人」等TVドラマ。

  その他Vシネ、アニメ、演劇、企業向けCF、教育関係等あらゆる
  ジャンヌのシナリオ・構成を百数十本手掛ける。
  大阪芸術大学映像学科客員教授。


                            


2009年3月23日(月曜日)

“やくざ映画から教育映画まで”
早三十余年、関西を拠点に、シナリオ・構成を書き連ねてきました大津一瑯です。

始まりは、東映京都撮影所に、ある伝手を得て潜り込んだ(今日では考えられないが)事でした。以来、映画、TVはもとより、Vシネ、ドキュメンタリー。アニメ、教育映画、演劇から企業CFまであらゆるジャンヌに顔を突っ込みました。
現在は、大阪芸大で学生にそれらの経験を話す仕事にかなりの時間を費やしています。

今日は、その卒業式です。
学校という所は、様々な行事の羅列で、気がつくと一年が過ぎ去っています。
新入生が入ってくる度に、こっちは一つ歳を取る勘定ですから、毎年二才差がつく感覚です。
学生気質にも多少の変化はありますが、概して今の学生は、素直な感じがします。
私たちの方が明らかに捻くれていました。その事が、シナリオ作品に、良くも悪くも反映されている気がします。

思えば、東映時代に接した先輩ライターの方々、既に鬼籍に入られた方も数名おられますが、笠原和夫さん、高田宏治さん、野上龍雄さん、村尾昭さん、神波史男さん、松本功さん、志村正浩さん等々、いづれも一癖も二癖もある個性豊かな人物群でした。
シナリオの書き方など教えてくれる筈もなく、もっぱら酒、女、博打の有言実行のみ。
気づくと私も、ライターの汗と泥と誇り(埃ではなく)の中にどっぷり浸っていました。
新井一氏の言葉、「シナリオは教えられるのか?」との命題を思う度に、煌めく先輩群の日々の言動を思い起こし、そのライターとしての生き様を、学生たちに伝えるようにしています。

その中から、これから30才まで人生で一番早く過ぎる時を向かえる若者たちに、一つだけ、私が同じ時期に、故笠原和夫さんから教えられた言葉を贈ります。
忘れもしない、東映撮影所の門の前で、笠原さんは、まず自分の頭を指差し、
「シナリオちゅうもんはな、ここで書くのではなく・・・」
次に、その巨体の胸か腹か判別つかぬ辺りをポンポンと叩き、
「ここで書くもんやで」
と宣わったのです。解説はいりませんよね。
詳しく知りたければ、笠原さんの著書「映画はやくざなり」(新潮社刊)の中の、秘伝シナリオ骨法十箇条をお読み下さい、ちなみに、ここに書かれている全てを、私は、笠原さんの定宿で、酒の相手をしながら詳しく聞かされていました。
今更ながら笠原さんの豪快さの中の誠実な人柄に触れた思いがします。
今夜は、巣立つ学生たち共に往時を偲び、痛飲します。

では又明日。



2009年3月24日(火曜日)

昨日の今日で、当然二日酔い。
35才の時、アルコール性肝炎で、京都第一日赤に三ヶ月入院、女医さんに、一生酒は呑めないと宣告されましたが、以来20数年、休肝日をまじえながら呑み続けています。だが、明らかに酒との付き合い方が変わりました。
どことなく古女房的で初々しさがない。何かとつらく当たる、そんな気がするんです、いや、ホンマに。
てな訳で、二日目にして既に日記がつらい。
ライターは、文字好きと思っている人が多いが、これこそライター常識の誤り集の最たるものでしょう。
伊丹万作氏の「シナリオは記号である」の言葉をどう解釈したのか、妙に勇気づけられ、ライターを続けた経緯もあり、仕事以外は手紙を書くのもおっくうで、仕事先延ばしの常習者である事を告白します。現在抱えてるある人物の一代記のシナリオも、構想ばかりで先に進みません。プロのライターにとって締め切りは命であると同時に地獄なのです。
愚痴はこのくらいにして、リレー日記から最初に連想したのは、駄洒落ではありませんが、パウル・クレーの「クレーの日記」でした。
クレーの人物、業績などについては、Wikipediaにでも任すとして、私は、この本が、亡き向田邦子さんの愛読書の一つである事を知って、学校の図書館から借りて手許に半年も置いています。
これが意外と難物で、寝る前にコツコツと読み進めていますが、睡眠薬代わりと言うか、愛読ではなくツンドク書の一冊と成り果てています。
たまたま、明日「新版クレーの日記」が刊行される事になり、そっちはかなり読みやすくなっているようで、早速アマゾンで取り寄せるつもりです。
その新刊紹介の中に、私が、「クレーの日記」の中で、きっと向田さんも感じたであろうと思った一節が取り上げてあったので、紹介します。
『色彩は私を永遠に捉えた、私にはそれが分かる。この至福の時が意味するのは、私と色彩は一つだということ。私は画家だということ。  1914年4月16日』
色彩を文字表現に、画家をシナリオライターと置き換えたら如何でしょうか。
集中が極に達した時に訪れる瞬間、ライターズハイという言葉があるとすれば、正にその心境を言い現しているように思われます。
さて、「クレーの日記」を読みながら、ライターとしてのモチベーションを高めるつもりでしたが、本日は、WBCの決勝。韓国を5-3 で破り連覇しました。
久しぶりにスポーツ観戦で疲れました。博多の出身で、日本シリーズで巨人を三連覇した、西鉄黄金時代の燃え尽き生き証人としては、その後のあらゆるスポーツにあきあきしていたので、久方ぶりのいい興奮でした。
「やつぱり、スポーツは贔屓筋が勝たんとあきまへんな」
心地よく疲れたので、夜は再放送見ながら祝杯です。
また、先延ばしか・・・。



2009年3月25日(水曜日)

痔疾、腰痛、肝臓病と言えば、シナリオライターの三大持病と言われています。
私と言えば、肝臓を騙し騙し酒を呑み続けているのは昨日述べました。
幸い痔の経験もありません。腰痛も・・・と思っていましたが、ちょうど一年前、椅子から立ち上がった瞬間に、左膝の後ろに激痛が走り、その場に踞りました。

その日は、研究室の副手の送別会。こんな時にかぎって狭い階段を三階まであがるお店。
その夜は酔い潰れて気づかなかったが、昼起きると膝はパンパンに腫れていました。
以後の経過は省略して、結果を言えば、一年間苦しみ、現在も軽い症状を引きずっています。
ピークは、昨年の夏から秋に掛けてでした。遂に10メートルも歩けなくて、お多分にもれず整形、整体を渡り歩き、去年の暮れにやっと相性のいい整体師に出会いましたが、慢性状態が続いています。

そんな折、私より症状がはるかに重い人から、一冊の本を勧められました。
「腰痛は脳の勘違いだった」(戸澤洋二著・風雲舎刊)です。内容は、読んで頂くしかないのですが、簡単に言えば、腰痛、座骨神経痛などの慢性の痛みは、その多くが、脳と心が関係しているというものです。痛みの回路を遮断し、その間に心のケアをする、この「回路の論理」は、確かに腰痛だけではなく、様々な慢性疾患の治癒に効果があるのかもと思ってしまいます。つまり病は気からです。シナリオにのめり込んでる時は、時間も痛みも忘れている事か多いのは確かです。ともあれ先ほどご紹介した本は単なる精神論とはほど遠いものですから、慢性的痛み、疾患に悩まれている方で興味のある人は一読下さい。

病話のついでに、シナリオライターは、シナリオの出来が悪かったり、締め切りに遅れた事の言い訳に、病気を使うのはタブーです。シナリオを書く作業は、 かなり肉体労働、それも重労働です。例え虚弱体質であろうと持病保持者であろうと、虚勢を張って、表向き平然としていて下さい。特に「あいつは身体が弱いから駄目だ」などと烙印を押したがるプロデューサーの前では。

その実、殆どのライターが、何かしらの病を隠し持っているものです。同じ宿で何ヶ月も一緒に生活していれば、自ずと分かります。でも弱音を聞いた事は殆どありません。後輩に弱みを見せる訳にはいかないからでしょう。まあ、理由の大半が、不摂生だという事もあるのでしょうが。

午前中、脊椎矯正整体を受け、身体が軽くなったところで、ようやく資料の読み込みを始める。すぐに疑問点でメモが一杯になる。実録ものでモデルとなる人物を多く取材しましたが、大体自分に都合のいい事、解釈しか言わないから、ドラマとして整合性を欠く事になりがちです。現実にはどんなにいい台詞でも、ドラマの中で光らなければ意味がありません。
やっぱりもう一度会わねばならないか・・・。

又忙しくなる予感。



2009年3月26日(木曜日)


私にとって、散歩は動く仕事場のようなものです。
殆どのシナリオライターがよく歩きます。構成を考えながら祇園の宿を出て、気づいたら太秦の撮影所だったなんてよくある事でした。優に二時間半以上は掛かります。
自転車は駄目です、それに交通量が多い通りも。信号無視というか信号が目に入っていませんから。
私の家は、京都市内のやや北より、下鴨神社の北側にあります。ここから東西南北360度、往復一時間半から多い時は二時間位が散歩コースです。毎日は無理ですが、家にいる時は殆ど午前中早めに家を出ます。シナリオ執筆中は、その日書くシーンをあれこれ思い浮かべながら、ひたすら歩きます。勿論締め切り寸前は、こんな悠長な事は出来ませんが。

今日は、思い立って西に露地を縫う様に向かいました。構想を練る時にお気に入りの場所があるからです。膝を痛めてから歩く距離が減りましたが、昨日ご紹介した本を読んでからは、出来るだけ痛みを気にせず、自分の力で治そうと又少し距離を伸ばす事にしました。

今日の場所は、大徳寺塔頭の一つ、龍源院です。小さな寺ですが非常に趣のある庭が、四つもあるのです。最近ツウが選ぶ寺とか紹介されて人が増えつつあるのですが、まだまだ平日はのんびり出来ます。方丈前の庭も捨てがたいのですが、裏手の石組みを取り囲んだ苔が大海原を思わせる竜吟庭を縦に見る所が、私の定席です。
時折マナーの悪い拝観者(主に年寄りそれも団塊世代)にはうんざりしますが、一時自分を非日常的空間に置くのも頭の切り替えには悪くありません。

ついでに、いくつかお気に入りを上げると、北は、ご存知の方も多いと思いますが、洛北の円通寺です。庭だけでなく場所の価値は、環境つまり借景に尽きると思ってますが、ここの庭はその典型でしょう。雪景色が最高です。
東は、市内唯一の山、吉田山の中腹にある宗忠神社の早朝の佇まいです。
近くの山中にある茶道接待所を改装したカフェ「茂庵」に立ち寄るのも一興です。
ここの西向きカウンターで夕日を見ながら、黒ビールとサンドを…。何か観光案内みたいになりましたからやめますが、取って置きをもう一つだけ。少し市内を下がり(南に行くこと)、泉涌寺の山門を右手にそれた、雲龍院の庭は、二十年前と変わらぬ素朴さを保っています。これまた素朴なお姉さんが運んでくれる抹茶を喫しながら、悟りの窓が切り取った庭をぼんやり眺めてると不思議と旨い酒が呑みたくなりますよ。

お気づきの方もおられると思いますが、私が気に入った場所には、龍源院、竜吟庭、雲龍院と龍の字がつく所が多いのです。曾祖父の名は龍吉、文人、画家でもないのに雅号を、臥龍などと気取っていました。父によると、私は、その曾祖父と、旅芸人について回り座付き作者みたいなものをして身代を潰した祖父の血を引いているとの事。どっちもどっちですよね。
「私がシナリオライターなのは、先祖の祟りか」てな事を考えただけで、龍源院を後にしました。
駄目だこりゃ。



2009年3月27日(金曜日)

遂に、お掃除ロボットを買いました。
SO-ZI-CZ901R。
椎間板ヘルニアで、動きを制限されている知り合いに勧められたのですが、私は、膝痛といっても日常生活に不自由はなく、ただ楽そうだとの理由だけです。
これが想像以上によく働くんです。フローリング、畳は言うに及ばずテーブル、椅子など狭いとこまで潜り込み、コツコツぶつかり、方向を変え埃を黙々と吸い取って回る、その健気な姿は思わずジーンとくるほどです。
すぐに名前を付けたくなりました。
定額給付金を当てにして購入したので、はじめは、腹立ちまぎれにテイキュー君でいいかと思いましたが、この働きぶりを見てると、あまりにロボットに失礼だと考え直し、掃除をする太郎で、“ソウタ”に決めました。お陰で、本家と違い支持率は、うなぎ上りです。

 概して、シナリオライターは機械に弱い人が多いようです。私もその一人ですが、ただ便利なものには妙に鼻が利くんです。関西が根城ですので、ファックスにはいち早く飛びつきました。携帯電話は、発売初期の頃、私自身に必要欠くべからざる事情が出来まして、正に私の為に発明されたのかとさえ思ったものです。
そしてワープロ、これも二十数年前からですから、かなり早い方でしょう。
ワープロについては、ライターの中には、否定的、いや嫌悪される方が多くおられるのは知っています。私も、シナリオは手書きであるべきだと、理想的にはそう考えています。字には、その人の性格、考え、調子、勢い、様々なものが現れると思っているからです。分かった上で敢えて言えば、反対される方は、例外なく達筆なんです。
これはいい事なので、名前を上げさせて貰えば、大先輩の高田宏治さん、見事な字です。
あまりうますぎてタイピストが読めず、彼の字に慣れている私が、書き直した程ですから(勿論褒め言葉です)。但し、最近お会いしてないので高田さんがワープロ否定論者かどうかは定かではありませんが。
最近見た中では、作協理事長の西岡琢也さん、趣のある字です。私がもし彼らなら間違いなくワープロを否定したでしょう(現に否定している)。

「字ではなく内容だ」との声が聞こえてくるようですが。字が汚いと、中味までまずく見えるんですよね。ワープロ以前の私は、書き出してから20枚位までは内容に関係なく、字が嫌だとの理由で破り捨てていました。その後、結局「俺にはこの字しか書けない」と開き直って書き出したものです。ただ例え下手でも、人に読んで貰う最低限度の礼儀として、濃い鉛筆で大きく分かりやすく書くのは当たり前です。
残念ながら学生の中には(特に男性)、その事をわきまえず書きなぐる人が見られます。
読む人の事を想像出来ない人には、ワープロを使う権利もないと思っています。

ともあれ、機械も使いようです。以前ワープロを買い換え、前のものに見向きもしなくなった途端、そのワープロは暫く動くのを拒否しました。以来自分の言葉を書き留めてくれるワープロを始め、便利な機械たちに敬意を払う様にしています。

今も、この日記を書いている隣の部屋で、ソータ君がせっせと働いてくれています。
「ええ子やなあ」
その姿に目を細めて見守る昼時でした。

では又明日。



2009年3月28日(土曜日)


BLコミックと言うのをご存知でしょうか。
BLはボーイズラブの略、女性向けの男性愛を題材にした漫画で、小説もあります。
恋愛をテーマにしている事、絵柄の美麗さなどから少女漫画と混同されがちですが、近年ネットサイトを活躍の場に、ジャンルとして確立されつつあります。

本日、偶然卒業生と呑む機会があり、その中の一人が、そのBLコミックの作家としてデビューした事を知りました。在学時代は、熱心にシナリオを書いていましたが、卒業後OLを経て、新天地を開拓したようです。はじめは恥ずかしがってましたが、観念して、次に掲載される原画とネーム(漫画の中の字を入れた部分)を見せてくれました。
BLの中には、かなり際どい性描写もあるのですが、彼女の絵は、とてもファンタジックで人物の目に異常な力を感じさせるものでした。

若い人たちは、どうも物事を“本気でやってる”と思われる事に照れと、抵抗を感じるみたいで、「表現の場がなくなったら私は終わり」なんて気取った事を言ってましたが、私が、「それで食っていくつもりなんやろ」と言ったら、少し真顔になり、「身近でささやかな幸せを題材に出来るBLが大好きで、誇りに思っている」「ピュアで一生懸命なのはBLが一番」「読者の為に描けるとこまで描きたい」など次々に本音が出てきました。
最後は、学生時代から、書きためたプロット、シナリオが別の形で役に立ったと、表現の場を見つけた喜びに、漫画の主人公の様に目をキラキラと輝かせていました。。

彼女は又、趣味はコスプレだと告白しました。
BLにコスプレ、ともすれば、人によっては少し偏った目で見る人もあるでしょうが、シナリオライターだって似たようなもんです。
毎日、ある事ない事妄想を膨らませ、想像の世界を彷徨い歩く事に変わりはありません。
どうみたって変人の世界です。かえって自分の正直な思いを堂々と表現している彼女を、羨ましくさえ感じました。

コスプレと言えば、サラリーマン経験が一度もない私にとって、彼らの服装は、一種コスプレの世界です。ビシッと決めたスーツ姿で、ビルの谷間のビジネス街を、闊歩してみたいと思った事は一度や二度ではありません。だが、先日、新橋での打ち合わせ帰り、近くの居酒屋に寄った時は息を飲みました。テーブルと椅子が四列十数卓並んだその店の全てが鼠色のサラリーマン。四面の壁には同じトレンチコートがびっしりと掛けられていました。ジャケットに綿パンの私は、気後れし立ち竦みました。
その中の数人が、見知らぬ私たちに、「ここもうすぐ空くよ」と遠くから声をかけてくれました。独特の連帯感に囲まれて、夢と現実の世界は違うと呟きつつ、グラスを重ねるしかありませんでした。

シナリオライターが、常に、現実と仮想の世界を行きつ戻りつしている人種である限り、BLともコスプレとも無縁ではない事を再認識したのです。
Viva! 変人!

では又明日。



2009年3月29日(日曜日)

いよいよリレー日記最終日です。
六日間の日記を読み返してみると、学校が休みの期間とはいえ、シナリオライターとは、何と無為徒食、風な仕事ですね。いや皆が皆そうではないでしょうが、端から見るとどうしてもそう見えてしまうんです。やっぱりいい訳ですかなあ。

それで、今日は仕事しています。
午前中、散歩抜きで、頼まれ仕事のハコ(構成)作り。内容は、プライバシーに関わるのでまだ言えません。
午後は、大学で教えている講義「シナリオ創作論」のガイドマップの新年度版作り。
これはテキストではなく、シナリオ創作を山登りに例えて、シナリオを書く為には、何をしなければならないかその道筋を指し示す地図のようなものです。
準備編と執筆編に分け、毎年試行錯誤しながら修正を加えています。

準備編では、シナリオの為の発想(アイデア)を如何に生み出し、形にするかを学び、実際に企画書としてまとめる。つまり登山の為のコンセプト(戦略)を練るのです。
執筆編は、ワークショップ的に、シナリオを書く為の技術を身につけ、実際に短いシナリオを書き上げます。登山に必要な技術を学び、訓練して、ルートを決め、一歩一歩山頂を目指し、シナリオ山を征服するのです。
最初の日に書いた、「シナリオは教えられるか」の命題に簡単に答えるとすれば、書く為の技術は教えられるし、学べるが、一方、書く内容は教えられないし、教えてはいけないものだという事です。
その他、シナリオにとって大切な言葉を、格言(Maxim)として随所にちりばめています。
つまり道標ですね。例えば「シナリオは映像作品の設計図である」「ドラマはストラッグル(葛藤)である」「テーマには、自分の考え方や主張、つまり作家の眼が必要である」などです。

と、真面目な話はこのくらいにして、
「シナリオライターは、酒場好きである」という裏格言(Maxim)もあります。
酒が呑める呑めないに拘らずです。
私も、この裏格言を忠実に実行しています。
ご多分に漏れず、京都、大阪にいくつか行きつけの酒場(居酒屋・スナック)もあります。
宣伝するつもりはないので、店名は上げませんが、ヒントだけ。京都川端二条付近にある、私が学生時代から通っている居酒屋は、黒ずんだ柱に背を凭れていると勤王の志士的気分になれます。不満は女性客が異常に増えた事(ここだけではないが)です。
もう一軒、河原町蛸薬師東入る、元立誠小学校北側の熊本のある市の名前をつけたスナック。カラオケはあまり好みませんが、ここだけは開店から三十年あまり、顔を出し続けています。ここも近年男の聖域ではなくなりました。ここのママは、下手なカウンセラーより余程マシとだけ言っておきましょう。やはりシナリオもお店も、“人間”に尽きますね。
今日は休みなので、明日でも覗くか。

さて、一週間取り留めのない事を書いて来ました。読まれた方がいたらどうもすみません。
もともと「シナリオライター、見て来たような嘘を書き」的な仕事ですので、話半分にしておいて下さい。
元々、シナリオライターは、お喋りか無口か。大酒呑みか一滴も呑まないか、カラオケ嫌いか歌いまくるか、などなど極端な矛盾を抱え込んだ人種なので大目に見て下さい。


近々ブログを立ち上げる事も考えているので、「またあなたとお会いしましょう」と言いたいとこですが、昔ある映画評論家がTV画面に向かって指を指してこの台詞を吐き、思わず避けていた事を思い出し、ここは寅さん風に、
「それではそろそろお開きとするか」
という台詞で、嫌々二階の仕事場に戻ります。
一週間有り難うございました。

終わり


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