シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
   森田剛行 (シナリオ作家)

1979年、広島県出身。大学卒業後、我妻正義氏に勝手に
師事する。2003年、函館港イルミナシオン映画祭第7回シ
ナリオ大賞短編部門においてグランプリ受賞。
  
■映画
「ノーパンツ・ガールズ」「ブラブラバンバン」
「秘密潜入捜査官ワイルドキャッツINストリップロワイヤル」
「VIVA!Kappe(ビバ!カッペ)」
「最高でダメな男 築地編」内の、「かんからちん」
■TV
「恋する!?キャバ嬢」


                            


2010年4月12日(月曜日)

右の靴の先に小さな穴があいているので、雨の日はツライ。
それでも、煙草を買いに家の外に出る。
結局今日は、家の外に出たのはそれだけだった。


そういえば去年の夏、スポーツのメンタルトレーニングの講習を受けようと思って、長野県の奥の奥に三泊四日の合宿に行った。

・朝4時に起きて、呼吸法。
・朝食をしっかりと食べて、知らない仲間たちの長所を互いに誉め合う訓練。
・昼食を食べ、プロテニスプレイヤーのビデオを見、プラス思考のイメージを膨らませた後で、実際にテニスをやる。
・夕食後、先生から一流のプロスポーツ選手が、逆境に対してどのように打ち勝ってきたか等、聞く。
・それを、次の日も、次の日も繰り返す。

その先生は、ちゃんと資格のある人で、あの選手もこの選手もお世話になっている、とされている。
僕はただスポーツが好き(広く浅く)で受講してみたのだが、こう書き並べて見ると、何だか気持ちが暗くなる。


まだ1年も経っていないが、あの生活とは朝起きられない時点でとっくにサヨナラしている。サヨナラだ。そして、

・昼過ぎ、パソコンに向かって、先月から抱えている仕事の原稿を打つ。
・夕食後、パソコンに向かって原稿を打つ。
・それを、次の日も、次の日も繰り返す。

それはそれで、こう書き並べて見ると、何だか気持ちが暗くなる。
はっきり言って、脚本の仕事がない日の方が圧倒的に多いのだが、僕は、こんな奴は嫌いだと、そう誓うことにする。



2010年4月13日(火曜日)

学芸大学駅を降りて、線路沿いにずっと歩いて行くと、古本屋にバーが合体した店がある。
細長い1Fの店内に7席のカウンター席があり、あとは前も背中も、右も左も棚。
そこに古本やらDVDやらが、それも結構マニアックなものがぎっしりとある。

2Fと3Fにも古本で埋められた棚が乱れ立ち、そこへのぼる階段の脇にも、さりげなくもなく古本が置かれている。

飲みながら、もちろん古本も買っていいという。
ただし、店主が気にいってるものは陳列されているにもかかわらず、売らない。
けど、貸してくれるそうだ。

僕は或る人に連れられて初めて行ったのだが、もうすでに酒に潰されていて、そこで何を飲んだのか覚えていないが、そのめくるめく古本たちに圧倒された。

それで、
『俺たちに明日はないッス』(さそうあきら著)『バイブを買いに』(夏石鈴子著)
『下落合シネマ酔館』(赤塚不二夫&やまさき十三著)
を購入した。

店主はそれを会計してくれたので、まだまだ店主のセンスには遠かったようだ。

そこにお客さんで、ついこの間まで赤坂のシナリオ講座に通ってたという若い男が、偶然にもいた。
その男は、結構その店に通い慣れているらしい。
シナリオが書けない……とか言葉をこぼしていたが、シナリオなんか書けなくてもこういう店を知ってるんだから、まずそこが偉いと思った。

しかし、閉店間際に出てきた“お母さんのカレー”は、無茶苦茶美味かった。



2010年4月14日(水曜日)

朝早く家を出、或る監督の撮影現場を見に行く。
別に自分の脚本ではない。全く関係ない。
何なら、以前に仕事で、その監督の脚本を書いて、あまりにも予想とかけ離れたものになったと散々怒られて、クビになったこともある。
僕の顔も見たくないだろうが、けど、見せに行く。

撮影現場でのポジショニングに困ることが、よくある。
“何もしないのに居る”というのは得意なはずなのに、一生懸命な人たちの前ではそれがよりくっきりと際立ち、居心地悪く、息苦しく、“何もしないで帰る”がだんだんしにくくなってくる。

けど、やはり、何もせず帰る。



2010年4月15日(木曜日)


今やってる仕事のギャラが、分割で月々9万円入る。
これが今、自分が居る世界だ。

そのお金もあっという間に消え、次の収入予定日までしばらく日にちがある。
そこで意を決して、実家にお金を工面してもらおうと電話をする。

電話に出た母、久々の声に胸が熱くなる。
頃合いをみて、その旨をソッと告げてみた。
すると母は、後でかけ直すと電話を切った。
そして1時間後に、実家から電話がかかってきた。
母に、ニンテンドーDSを送ると言われた。


届くのを楽しみにしている。



2010年4月16日(金曜日)

昼からの「ゲゲゲの女房」に合わせて起き、その後少し仕事をする。

夕方、今日まで公開だった映画「ビバ!カッペ」を観てくれた夫婦が来たので、家で酒を飲む。
3時間ぐらいして、60年代から70年初頭に新宿界隈にたむろしていた「フーテン」の定義について、その夫婦が喧嘩しだした。
僕は「フーテン」といえば、永島慎二だろうと棚の漫画を取り出すが、それはそれで違うと、火に油を注いだみたいに討論が過熱する。
その後、たらふくギョーザを食べて、夫婦は帰る。

それから、テレビのスポーツニュースを見る。
広島カープが、勝った。
しかも、9階裏満塁の場面で代打で登場した、前田智徳のサヨナラヒットで勝負を決していた。
思わず声を上げて、喜ぶ。
近年、ケガに泣かされてきた前田。
寡黙で、直情径行で、ヒットを打っても納得いかないとベース上で首を傾げる前田。
けれどそれを超えて、今日のヒーローインタビューはどこか明るく「適当にいこう」と思って振ったと答えていた前田。
昔、天才と呼ばれながらも、広島のテレビ番組に生出演して、女子高生からの質問FAXに対して、「女子高生、大好きでーす!」とダブルピースで答えていた前田。

涙が、ジュっと出た。
あの大好きな前田が、帰って来たようだ。



2010年4月17日(土曜日)


今やっている仕事は、或る人を取材して、その人の人生をホンにしている。
これまで5度会って話を伺ってきたが、その人がもっと取材をして欲しいと言うので、神楽坂の喫茶店「ピエトロ」に出向いた。

その人は、アダルトの世界を生き抜いた人で、その人の歴史はそのまま袋物からビニ本、そしてAV、昨今のコンビニエロ本が、都市条例で規制されていった歴史に当てはまる。

30の僕が65の人に取材するのも、最初は何だか失礼な感じがしていたが、徐々に打ち解け、だんだん取材というか、その人がエロトークしたがる。
だから、それに付き合う。

エロトークなんだけど、少し恥ずかしいのか「アングラ」「文化」「パリのモンマルトル」など、そーゆー高尚な言葉を交えて語るのが、どこか可愛いらしい。

取材をしてて改めて思う事は、他人はおもしろいという事だ。
絶対、自分の想像じゃ思い浮かばないようなシーンが、次々とその人の口から出てくる。
だから、他人はおもしろい。

そう思う事でやっと、自分のオリジナリティも愛せたり、憎んだりできるだと思う。



2010年4月18日(日曜日)

金も無いので、昼からおとなしく仕事をする。
結局今週で終わらせようと思った仕事は、終わらなかった。

来週からは師匠の下書きをせねばならぬので、今日はリフレッシュと言い訳して、早めに仕事をやめる。

僕は脚本家として一人立ちはしたが、師匠の我妻さんの弟子も時々している。
刺激になるし、どんなスポンサーも、プロデューサーも、監督も恐くないと思えるほど体力がつくからである。
今の時代。師匠と弟子という関係も珍しいと思うので、少し書いておきたいと思う。

弟子の仕事は主に、

・下書き(師匠が他で忙しい時)
・手書き原稿をパソコンに打ち込む
・子供の遊び相手
・アリバイ工作として

などである。昔はこれに、家の掃除とか、食事をつくるとか、麻雀の相手とかあったと思うが、今は無い。何なら逆に僕が、師匠を使ってアリバイ工作をすることもある。そうやって、原稿の外からも学ぶのである。

僕は、我妻さんを勝手に師匠と呼んでいるが、我妻さんの授業を受けていたとか、作品のファンだったとか、ではない。

たまたま通っていた銭湯が同じだっただけであり、それで出会ってしまったわけで、そこに通ってたのが別の脚本家の人だったら、その人が師匠だったかもしれない。

鴨さんに「何でよりによって我妻さんなの?」とよく聞かれるが、よりによって我妻さんだったのだからしょうがない。

でも別の脚本家の人だったら、そんな銭湯が同じという理由だけで原稿を持ってくる奴なんて、心底気持ち悪がって敬遠しただろう。
そういった意味では、よりによって我妻さんで、良かったと思っている。
脚本のちゃんとした書き方は教わっていないが、物語をちゃんとさせないことを教わった。のかな? まだ勉強中である。


ってことでブログ終了です。ありがとうございました。
リレー、我妻さんに回そうと連絡してみようと思いましたが、バトンを受け取らない事は、連絡する前から十分分かっていたのでしませんでした。事務局の方、ブログ運営の方、すみません。
それも弟子の仕事って事で。


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