2010年4月13日(火曜日)
学芸大学駅を降りて、線路沿いにずっと歩いて行くと、古本屋にバーが合体した店がある。
細長い1Fの店内に7席のカウンター席があり、あとは前も背中も、右も左も棚。
そこに古本やらDVDやらが、それも結構マニアックなものがぎっしりとある。
2Fと3Fにも古本で埋められた棚が乱れ立ち、そこへのぼる階段の脇にも、さりげなくもなく古本が置かれている。
飲みながら、もちろん古本も買っていいという。
ただし、店主が気にいってるものは陳列されているにもかかわらず、売らない。
けど、貸してくれるそうだ。
僕は或る人に連れられて初めて行ったのだが、もうすでに酒に潰されていて、そこで何を飲んだのか覚えていないが、そのめくるめく古本たちに圧倒された。
それで、
『俺たちに明日はないッス』(さそうあきら著)『バイブを買いに』(夏石鈴子著)
『下落合シネマ酔館』(赤塚不二夫&やまさき十三著)
を購入した。
店主はそれを会計してくれたので、まだまだ店主のセンスには遠かったようだ。
そこにお客さんで、ついこの間まで赤坂のシナリオ講座に通ってたという若い男が、偶然にもいた。
その男は、結構その店に通い慣れているらしい。
シナリオが書けない……とか言葉をこぼしていたが、シナリオなんか書けなくてもこういう店を知ってるんだから、まずそこが偉いと思った。
しかし、閉店間際に出てきた“お母さんのカレー”は、無茶苦茶美味かった。
2010年4月14日(水曜日)
朝早く家を出、或る監督の撮影現場を見に行く。
別に自分の脚本ではない。全く関係ない。
何なら、以前に仕事で、その監督の脚本を書いて、あまりにも予想とかけ離れたものになったと散々怒られて、クビになったこともある。
僕の顔も見たくないだろうが、けど、見せに行く。
撮影現場でのポジショニングに困ることが、よくある。
“何もしないのに居る”というのは得意なはずなのに、一生懸命な人たちの前ではそれがよりくっきりと際立ち、居心地悪く、息苦しく、“何もしないで帰る”がだんだんしにくくなってくる。
けど、やはり、何もせず帰る。
2010年4月15日(木曜日)
今やってる仕事のギャラが、分割で月々9万円入る。
これが今、自分が居る世界だ。
そのお金もあっという間に消え、次の収入予定日までしばらく日にちがある。
そこで意を決して、実家にお金を工面してもらおうと電話をする。
電話に出た母、久々の声に胸が熱くなる。
頃合いをみて、その旨をソッと告げてみた。
すると母は、後でかけ直すと電話を切った。
そして1時間後に、実家から電話がかかってきた。
母に、ニンテンドーDSを送ると言われた。
届くのを楽しみにしている。
2010年4月16日(金曜日)
昼からの「ゲゲゲの女房」に合わせて起き、その後少し仕事をする。
夕方、今日まで公開だった映画「ビバ!カッペ」を観てくれた夫婦が来たので、家で酒を飲む。
3時間ぐらいして、60年代から70年初頭に新宿界隈にたむろしていた「フーテン」の定義について、その夫婦が喧嘩しだした。
僕は「フーテン」といえば、永島慎二だろうと棚の漫画を取り出すが、それはそれで違うと、火に油を注いだみたいに討論が過熱する。
その後、たらふくギョーザを食べて、夫婦は帰る。
それから、テレビのスポーツニュースを見る。
広島カープが、勝った。
しかも、9階裏満塁の場面で代打で登場した、前田智徳のサヨナラヒットで勝負を決していた。
思わず声を上げて、喜ぶ。
近年、ケガに泣かされてきた前田。
寡黙で、直情径行で、ヒットを打っても納得いかないとベース上で首を傾げる前田。
けれどそれを超えて、今日のヒーローインタビューはどこか明るく「適当にいこう」と思って振ったと答えていた前田。
昔、天才と呼ばれながらも、広島のテレビ番組に生出演して、女子高生からの質問FAXに対して、「女子高生、大好きでーす!」とダブルピースで答えていた前田。
涙が、ジュっと出た。
あの大好きな前田が、帰って来たようだ。
2010年4月17日(土曜日)
今やっている仕事は、或る人を取材して、その人の人生をホンにしている。
これまで5度会って話を伺ってきたが、その人がもっと取材をして欲しいと言うので、神楽坂の喫茶店「ピエトロ」に出向いた。
その人は、アダルトの世界を生き抜いた人で、その人の歴史はそのまま袋物からビニ本、そしてAV、昨今のコンビニエロ本が、都市条例で規制されていった歴史に当てはまる。
30の僕が65の人に取材するのも、最初は何だか失礼な感じがしていたが、徐々に打ち解け、だんだん取材というか、その人がエロトークしたがる。
だから、それに付き合う。
エロトークなんだけど、少し恥ずかしいのか「アングラ」「文化」「パリのモンマルトル」など、そーゆー高尚な言葉を交えて語るのが、どこか可愛いらしい。
取材をしてて改めて思う事は、他人はおもしろいという事だ。
絶対、自分の想像じゃ思い浮かばないようなシーンが、次々とその人の口から出てくる。
だから、他人はおもしろい。
そう思う事でやっと、自分のオリジナリティも愛せたり、憎んだりできるだと思う。
2010年4月18日(日曜日)
金も無いので、昼からおとなしく仕事をする。
結局今週で終わらせようと思った仕事は、終わらなかった。
来週からは師匠の下書きをせねばならぬので、今日はリフレッシュと言い訳して、早めに仕事をやめる。
僕は脚本家として一人立ちはしたが、師匠の我妻さんの弟子も時々している。
刺激になるし、どんなスポンサーも、プロデューサーも、監督も恐くないと思えるほど体力がつくからである。
今の時代。師匠と弟子という関係も珍しいと思うので、少し書いておきたいと思う。
弟子の仕事は主に、
・下書き(師匠が他で忙しい時)
・手書き原稿をパソコンに打ち込む
・子供の遊び相手
・アリバイ工作として
などである。昔はこれに、家の掃除とか、食事をつくるとか、麻雀の相手とかあったと思うが、今は無い。何なら逆に僕が、師匠を使ってアリバイ工作をすることもある。そうやって、原稿の外からも学ぶのである。
僕は、我妻さんを勝手に師匠と呼んでいるが、我妻さんの授業を受けていたとか、作品のファンだったとか、ではない。
たまたま通っていた銭湯が同じだっただけであり、それで出会ってしまったわけで、そこに通ってたのが別の脚本家の人だったら、その人が師匠だったかもしれない。
鴨さんに「何でよりによって我妻さんなの?」とよく聞かれるが、よりによって我妻さんだったのだからしょうがない。
でも別の脚本家の人だったら、そんな銭湯が同じという理由だけで原稿を持ってくる奴なんて、心底気持ち悪がって敬遠しただろう。
そういった意味では、よりによって我妻さんで、良かったと思っている。
脚本のちゃんとした書き方は教わっていないが、物語をちゃんとさせないことを教わった。のかな? まだ勉強中である。
ってことでブログ終了です。ありがとうございました。
リレー、我妻さんに回そうと連絡してみようと思いましたが、バトンを受け取らない事は、連絡する前から十分分かっていたのでしませんでした。事務局の方、ブログ運営の方、すみません。
それも弟子の仕事って事で。