2008年11月18日(火曜日)
今日は午後から裁判の傍聴へ行った。
昨年4月、友人が痴漢と間違えられ逮捕され、飽くまで無実を訴え、一審では有罪になったが上告し、今日は高等裁判所での初公判なのだ。
被害者は、臀部を触られ、降りる間際、手を掴み、痴漢を訴えたのだという。
だが、友人の手には、女性の衣服の繊維は一切検知されず、また、女性も位置確認だけで彼を痴漢として訴えたのだ。一審の時、他にも痴漢行為を行える位置にいた男性が三人、存在したことが明らかになった。彼の無罪を証明するこの二つの大きな証拠があったので、一審で、無罪は勝ち取れると信じていた。
だが、判決は有罪。懲役4か月というものだった。痴漢裁判の一審は訴えた者勝ちで、無罪を勝ち取れるのは僅か0.4%だという。だが、彼は飽くまでも無罪を主張し、上告した。勝っても、返って来るものは、200万の裁判費用だけで、300万を超す弁護士費用は返ってこない。奥さんと子供が3人おり、300万という費用は決して楽な金額ではない。示談で済ませれば相場10万位で片はついた筈だ。それでも彼と彼の家族は戦うことを選択した。もし、勝った時、訴えた側に、損害賠償で訴え返すことも出来る。ただ彼はそれはしないという。
望む形で結審することが出来たなら、こんな事件はもう、忘れたいというのだ。
人間として損得ではない生きる上でのプライドが許さなかったのだ。
今回裁判では、更に無罪を証明する幾つかの証拠が提出された。
そして検察側の反論があり、それが終わると、今度は証拠認定が始まった。
驚いたことに、検察側は、証拠について殆ど受け入れた。証拠の中には彼の妻からの上申書なども入っていたにも関らず。
通常、裁判では、証拠を検察側に、いかに受け入れさせるか、その為に弁護側は苦労をする。検察が証拠として受け入れ拒否をすれば、その時点でその証拠は裁判では有効なものではなくなってしまうからである。今回の検察側の態度はどうも腑に落ちない。
更に、審議は今回限りで、次回はもう、判決だという。一発結審のパターンとして、考えられるのは、上告され、一審の審議内容を見ただけで、どう転ぼうが判決結果が見えている時だという。つまり、一審で有罪判決が下り、二審でもそれが覆るとは思えない時、一発結審がなされる。今回もそうなのか……。
審議終了後、弁護士報告会が行われた。
弁護士先生の説明では、今回、殆どの証拠が検察側でも受け入れられた背景には、判事側から検察側に、証拠を受け入れるよう厳命か圧力があったからではないかという。
となると高裁は、一審の審議内容や裁判結果を洗い直し、彼は有罪になりえないと判断してくれたのだろうか。痴漢裁判の場合、殆どが無罪証拠も受け入れず、エスカレーター式に有罪に持っていかれてしまう。だが近年、高裁では、あまりにもそのやり方が明ら様過ぎるということで問題になっているらしい。
彼の場合もそのパターンには当てはまると思う。高裁での判断が我々の望むべき結果になってくれるのなら、彼がプライドを守る為、戦ってきたことが、上告したことで、やっと実を結んでくれたことになる。
これは脚本家の世界でも同じことが言えるかもしれない。何かで自分の尊厳が踏みにじられた時、先々のことを考え、諦めてしまってはいけない。とにかく人間は自分のプライド、尊厳を守らなくてはいけないのだ。それが守れなければ、生き伸びることは出来ても抜け殻になってしまう。いい仕事をしたかったら、まず、プライドを守り続けることであろう。
1月に判決が下りる。何としても彼には勝ってもらいたい。
2008年11月19日(水曜日)
今日は朝から仕事のメールが二通来た。
一通がテレビドラマのコンペで、もう一通が来年の秋からのアニメ企画の話だ。
直接電話で頼まれた仕事の方が企画成立の可能性は高いように思える。
やはり、直で電話を掛けてくるのと、メールで頼むのとでは、気合の入り方が違うのかもしれない。
それでも、5年くらい前までは、全て仕事の発注は電話で来た。「それ、無理じゃないかな」と思える仕事でも、口八丁のPは、取りあえず企画書を書かせる為、色々なことを言って、何とか書くことを納得させようとした。
インターネットの活用が当たり前になったここ数年は、生の会話も減ってきているように思える。
今のところ、原稿を出した後、打ち合わせはまだ、会ってお互いの意見をぶつけあったりはする。
だが中には、特にアニメだが、Pとの打ち合わせがメールのやり取りだけで終わってしまう現場も出てきているという。怖い話だ。
今に、Pや監督の顔も声も知らないまま、仕事が成立する現場も出てくるのではないか。
それでも成立した時はまだいい。下ろされた時、メールのやり取りだけで終わってしまったらどうなるのだろう。Pは電話にも出ず、あなたの脚本は、これこれこういう部分が足りなくて……というわけで、今回は、降りてもらうことになりました。そんなメールを送ってくるだけで、それに対してまたメール以外、反論の方法がなくなってしまう、ということも起こりうる。考えるとぞっとする。脚本家の権利を主張するどころではない。
いい仕事が出来た時、Pや監督に褒められたいし、笑顔が見たい。それも書く上で、やはり一つのモチベーションになっている。(志が低いと言われそうだが)。メールのやり取りだけで終わってしまっては、いいものは作れないように思える。
世の中はどんどん便利になっていく。しかし、そのせいで、血肉が通わなければいけないような肝心な部分が疎かにされていく。
文明が発達すると文化は衰退していくように思えてしょうがない。
2008年11月20日(木曜日)
今日は朝から(昼近くに起きているので実は昼からだが)プロット書きに忙しい。
明日、午後から別件の新たな仕事の打ち合わせがあり、出てしまうので、それまでに何とか書きあげたい。
頭の中では出来ているのだが、書き出すと中々難しい。
この仕事はエージェントからきたものだ。
エージェントに入ってから、ギャラ交渉が楽になった。というか、ギャラ交渉はせずに済むようになった。これは助かる。仕事をもらい、打ち合わせに入っても、ギャラの話を中々切り出せない。仕事をする時、普通の仕事なら、当然、金銭的な話を最初にするのが常識だが、自分にはそれが出来ないのだ。ギャランティーが決まらないでは仕事にも身が入らない。エージェントでは必ず仕事に入る前にクライアントとギャラを取り決め、契約書を作ってくれる。それは大変助かる。以前、アニメの仕事で二次使用は出せない、と制作社側にごねられたことがある。それでも日参し、地道に交渉し、二次使用の権利を認めさせた。
作家の二次使用は元来、作家協会が厳しい交渉の末に制作会社側に認めさせた権利だが、作家の立場が弱くなってきている昨今、すんなり払ってくれようとしない制作会社もあり、その交渉は結構大変なことだ。シナリオ作家協会の会員でも厳しいのだから、全く協会に属さないライター達はさぞ難儀しているだろう。中には鼻から諦めてしまっている人達もいるという。全く辛い現実だ。
ただ、フリーで作家業を営む人たちは、本来、自分の力で二次使用も含め、このくらいの交渉は出来なければいけないのだろう。しかし、どうしても無理だという人は、ギャラの何パーセントかは支払うが、エージェントに席を置くのもいいかもしれない。書く上で、創作以外のことで不安になるのはやはり辛い。金銭的なことは、生活する上でも一番、大切なものだけに、その部分、エージェントに任せられるのは有難い。
エージェントに属していても、仕事はそれ程、回ってくるわけではない。中にはコンペもあり、コンペもクライアント側からそのライターの実績を見て、参加させるかどうか考えるようなものもあるようだ。だから基本的には、仕事は自分でもらって来て、ギャラ交渉や二次使用についてエージェントに頼むというスタンスで考えるのがいいかもしれない。
勿論、いきなりこのドラマの脚本を書いて欲しい、という仕事も来る。その時は全力を尽くす。うまくいけばエージェント内での評価も上がり、仕事も増えてくるであろうから。
今回やってるテレビドラマのコンペも、頑張っていい結果を生みたい。通れば新しい仕事を得ることになるし、エージェントでの実績にもつながる。
しかし、何をしても、回りの顔色をうかがってしまうのが自分の悪い癖だ。それがなくならないと本当にいいものは創れないかもしれない、とつくづく思う。
2008年11月21日(金曜日)
今日も朝からプロット書きだ。
全然進まず、先が見えない。話はある程度見えてはきているのだが、企画の意図が見えない。はっきり言ってしまえば、ただ、こんな話なら面白そうだから、程度の意図で、どこがどう面白いのか、突き詰めて考えないまま書いている。作家としてそれってどうよ、と思うのだが仕方がない。いつも企画意図は最後にとって付けたように綺麗な言葉を考え、書いている。こんなことじゃいけないと思いながらもそうなってしまう。それでいて、色々な学校にシナリオを教えに行っているのだが、生徒には、この話、どこが面白いのか、何が売りなのか考えてみなさい、などと先生面しながら指導し、語っちゃっているのだから、たちが悪い。
午後、今後の仕事の打ち合わせと、映画『光る!』のカンパケを貰う為、新宿で室田憲昭さんと会った。
年内に一緒にVシネ一本と来年、また映画をやることになっている。有難い友人である。作家協会に入ると会合やイベントが沢山あり、様々な人と知り合う。そんな中で、友情も芽生え、時に仕事へもつながっていく。サラリーマンは飲みにケーションという言葉をよく使うが、脚本家にも飲みにケーションは存在する。室田さんとは初めて会った時から変に気が合い、仕事に呼んでくれるようになった。喋り出すとマシンガンのように喋り、関西人の乗りで必ず落ちもつけ、漫才を聞いているようで楽しい。行動力も脚本家の中にあって異質な程、持っている。今回、一緒に書かせてもらった『光る』も、現場状況については月刊シナリオ1月号に載せてあるが、脚本家としてのプライドを守る為、恐らく日本で初めてであろう、エンドロールで、プロデューサーの前に脚本家の名前をクレジットさせてしまった。書き手としてだけでなく、プロデューサーとしての能力も高い。
これからの脚本家はプロデュース力を持たなくてはいけなくなってきているように思う。アメリカの映画やテレビドラマでは、プロデューサーに名を連ねる脚本家も増えている。日本でも、脚本を書いて、もっと積極的に自分でプロデュースしていかなければいけない時代がきているように思える(プロデューサーが、大したこともしていないのに、脚本の欄に名前を連ねるのとは違う)。プロデューサーとしても参加して、ようやく脚本家として権利を守れるようになるのではないか。書いているだけでは、いずれ置いていかれていってしまうような気がしてしょうがない。
2008年11月22日(土曜日)
朝、9時半に起き、今日も朝から原稿書きである。いい加減に仕上げなければ、と気合を入れ、いつもより早く起きる。
何故、自分は一本のものを仕上げるのに、こんなに時間がかかってしまうのだろう。今年の二月から書いてる映画のシナリオもまだ仕上がっていない。
監督がたまたまテレビが忙しくて急がされないことをいいことに、まだ出来ていない。
それでもたまに呼び出される。だが、大抵、二人で酒を飲み明かし、新しい進展を見せることもなく別れていく。
このブログには、書けない、という話ばかり書いているような気がする。大体、パソコンに向かって仕事をするのがいけない。インターネットに繋がっているせいで、メールが来ると、いちいちチェックしてしまう。ネットショップ関係も多い。
見ているうちに段々欲しくなり、そうなると、その商品が一番安く売られているショップを検索し、散々調べた挙句、やっぱりいらないことに気付き、虚しさばかりを残し、時間を浪費した後悔で押しつぶされそうになる。その後、一瞬は仕事に集中するが、すぐに一休みし、今度はパソコンに入っているゲームをやり出す。井上淳一氏のブログでフリーセルをやってしまう話が書いてあったが、その気持ち、よくわかる。彼とは、今年、北京で殆ど行動を共にし、町中、歩き回ったが、行動パターンまで似てきてしまったのだろうか(井上さんが怠惰と言ってるわけではないので、そう感じたらごめんなさい)。
パソコンで仕事をするのがいけないのかもしれない。元来、原稿は原稿用紙に書くもの。そう思い立ち、万年筆を取り出した。だが、これがいけなかった。自分は実は大の万年筆好きで、10本程、所持している。パーカー、ダンヒル、ロットリング、等など。更に、モンブランに至っては、2本も有しており、そのうち1本は、奥さんからのプレゼントでマイシュタースティック149という最高級の芸術品である。下世話になるので値段は差し控える、などということは私はしない。約10万円もする。おいそれと書けるものではない。他の万年筆も色々、試し書きしてみる。だが、マイシュターシュティック149に勝る書き味のものはない。ペン先の柔らかさ加減といい、太さといい、インクの色といい、この万年筆を使ってしまうと、他のものでは書けない。
そのペンをじっと眺める。やはりいい。
文字を書いてみる。更にいい。
万年筆をいじっていると、至福の時が過ごせる。
そして至福の時間は、我に返って現実に引き戻された時、魔の時だったことに気付く。
今日、一日も無駄に過ごしてしまった。どうしよう……
2008年11月23日(日曜日)
そろそろ手を付けなくてはいけない仕事がある。映画『光る』の完成台本作りだ。撮影終了後に完成台本を作るというのも不思議な話だが、実は『光る!』は、フィラデルフィア国際映画祭や上海国際映画祭など、四つの国際映画祭で上映することが決まっている。この映画は脚本の室田憲昭さんと私が現場に詰めて直しを入れていったせいで、決定稿と出演者のセリフがかなり変わってしまった。国際映画祭に出す時には英語の字幕をつけなくてはならず、その為には映像に合わせた脚本が必要になる。翻訳する時間を考えると、こちらもあまり時間がない。
日本の映画人も、もっと世界というものを視野に入れて活動していかなくてはいけないように思う。市場が日本だけではあまりに狭すぎる。今まで世界に出られない私が言うセリフではないが、シナリオ作家協会に入った12、3年前、文化庁の留学制度を使ってハリウッドで勉強したくて仕方なかった。松田優作が常々言っていたという、「こんな小さい日本なんかで自分は潰されるわけにはいかない」、と言っていた言葉がずっと引っかかっていた。自分も海外へ出たかった。しかし、さしたる実績も作れないまま、更に英語も喋れるようにならないまま、結局、年だけ取っていき、文化庁の海外研修制度の利用は諦めてしまった。友人達には、ハリウッドに留学すると吹いていたから、皆、さぞ、ほら吹きだ、と呆れていただろう。それだけに、『光る!』で海外へ少しだけでも出られるのは嬉しい。
外国には、鼻から国内など相手にしていない、映画人は珍しくない。特に中国には多い。規制がかなりあり、そんな中で撮って上映し、国内で評価されることなど、彼らは望んでいない。先月、日中シナリオシンポジウムで中国に行った時、荒井晴彦さんと井上淳一さんが取材したロウ・イエは、そんな国内など視野に入れていない監督の一人である。詳細は映芸に載ると思うが、彼は『天安門の恋人たち』を撮った為に5年間の国内活動中止というペナルティーを科せられた。そんなことは撮る前からわかっていただろう。それでも撮り、海外へ出し、評価を受けた。アン・リー監督の『ラスト・コーション』なども、国内の評価など考えてはいなかったであろう。
これからは、活動の場をどんどん海外へ移していかなければ、日本の映画人達は、今以上に世界から置いていかれていってしまうような気がする。また、国内の作品で、ギャラや印税でどんなに戦っても、もともとのキャパがあまりに小さい中で、どれだけ取れるようになろうが、たかが知れている。仕事の場を日本などと限定せず、世界中を視野に入れて、大きく稼げるようになりたいし、世界中に自分の思いをぶつけることが出来れば、こんなに素晴らしいことはないと思う。夢は大きすぎるかもしれないが、思い続けていれば、いつか叶うかもしれない。その可能性を信じ、努力していきたいと思う。
今日で、私の日記は終わります。つたない文章で、くだらないよた話にお付き合いくださいまして、どうもありがとうございました。感謝いたします。
明日からは、私の日記に再三登場した室田憲昭氏です。私の戦友とも兄貴とも言える存在で、とにかく普段の話は漫才を聞いているように面白く、それでいて、今回、書いたような海外に目を向けて活動しようとしている貴重な作家であり監督です。室田さんの日記は、喋りと同様に疲れた一日を笑いで終わらせてくれるようなものになると思います。今から楽しみです。
室田さん、一段落ついたら、また飲んでカラオケ行って遊びましょう。
(今度、飲みに行きましょう、というのが、定番の〆の合言葉になって来ているようですので使わせてもらいました)