シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
   久保田圭司 (シナリオ作家)

57年法大経済学部卒、出版社勤務、若尾徳平、
八木保太郎氏に師事。現在に至る。
シナリオ通信講座添削講師。
■映画
「大幹部 無頼」「縄張はもらった」「夕顔夫人」他
■TV
「ハレンチ学園」「新・座頭市」「火サス・喪服の妻たち」
「この子だれの子」「愛と復讐の海」「ウルトラマンA」
「科学忍者隊ガッチャマン」「山ねずみロッキーチャック」
他多数


                            


2009年11月23日(月曜日)

朝6時、眼が覚めて窓の外を見たら、山稜の線や近くの杉木立が霧に霞んで墨絵のように見えた。そうだ、オレ、シナリオ通信講座の「秋のシナリオ合宿」の講師で箱根に来ていたんだ。
前日、午前9時30分、箱根湯元講師4人、受講生は30人近くが集合した。それからグループに分かれて講師と一緒に箱根山中を取材して歩く予定だった。しかし生憎の雨だ。取材はむずかしい。シナリオ作家協会の世話役・鈴木景子氏は私たち講師と相談、急遽予定を変更して全員箱根登山電車に乗り、彫刻の森駅の社会教育センターに入った。そこでシナリオの実作指導を始めた。それから夕食を近くにレストランでとり、続いて箱根小涌谷のホテル「パンシオン箱根」に移動した。ここがわれ等の合宿所だ。そしてまた夜の講座が10時まで続く。疲れた。最近は朝から夜まで、こんなに働いたことはない。そんな感想を持って第一夜を送っての朝だった。

いよいよ二日目だ。だがまだ足が痛い。鈴木氏は前日の予定の変更を修正する方法をどうするか、懸命に調べ回った結果、取材に行く高田純、井上登紀子、北川哲史の三講師と受講生のグループ、それにホテルに午後3時まで残って岡芳郎講師と私の実作指導、数名でストーリーを実際に作る手法を学ぶグループに分かれて行動する事となった。
また大勢の真剣な眼と対峙してシナリオについて語らなくてはならない。熱くなれるが、大変だ。午後の3時までは長い。受講生でストーリーも作れなかった者が「これで1本書けます」といった。それが2人、3人と増えていった。少々実験的だったが、修正すれば次にも使える初歩的な技法だ。その間、鈴木氏は受講生を仕切り、一人取材の受講生に注意を与えたり、困った時の方法を教えて大奮闘だった。
3時に私たちは講座を終わり、ホテルを出て箱根湯元に着いた。箱根は連休の客で混雑を極めていた。そんな中で岡氏と私、鈴木氏はロマンスカーでようやく帰途に着いた。
受講生相手にしゃべった……、ほつとした……、疲れた……、でも充実した一日だった。



2009年11月24日(火曜日)

朝も足が重かった。まだ疲れている。回復が遅い。散歩の回数を多くして足を鍛えた方いい。でも、だらだらと寝転んで回復を待つのが、オレに一番合ってるな。
今日は御成門の音響芸術という専門学校で、午前11時からシナリオの講座がある。それだけは頑張らなくては。でも内容は考えてなかったので、箱根のシナリオ合宿の話をして90分授業を終えた。学生の諸君、ごめん。次は真面目に考えます。
それに日記は苦手だ。小学生の頃からである。何故だろう。コツコツやる仕事がダメなタイプなのか、今もって分からない。第1日目も、懸命に日記を書いていたら、どこかでミスタッチして、終りかけた日記文が何処かに消えてしまった。いくら探しても見つからない。もう一度書くしかないのか。そう思って書きなおす決意をしていたら、ぽんと何処からか出てきた。おい、何処に消えてたんだ、お前! これだから日記って大嫌いなんだ。



2009年11月25日(水曜日)

今日から本格的に休日だ。考えてみれば先月末から今月にかけて働きすぎた。心身ともに疲れのピークだった。
「休みだ」と決めると,意外に朝早く眼が覚める。さあ、何をしようか、読みたい本、読むと約束した本が山となっている。大森兄弟の『犬はいつも足元にいて』にしようか、『仏像がわかる本』を読むか、楽しみにしていた『江戸の「粋」の系譜』か、宮部みゆきの『英雄の書』にするか迷うばかりだ。ええい、手当たり次第に読もう。何でもいいや。でも、夕暮れ時になったら、なんだか目が疲れて,頁をめくる手が重くなってきた。ああ、疲れた。これって、ホントの休日かな。



2009年11月26日(木曜日)


休養を取るって難しい。のんびりしようと思って、読みたい本を並べて、適当に読んでいたら、つい面白くて夢中になってしまった。気がついたら肩は痛いし、頭が重い。最近は腰まで痛くなる。これで休養なのか? 明日は疲れない休養法にしよう。



2009年11月27日(金曜日)

シナリオ誌の編集の大野亮氏から電話があった。同誌に連載中の『映画の中の名セリフ・名シーン』の次回作の打ち合わせだ。名作というと直ぐに思いつくのがセリフとシーンだが,それ以外に「色」がある。勿論,カラー映画の色彩である。
カラー作品を見た記憶は、中学生の頃、確か『海賊バラクーダー』という娯楽作品だった。ストーリーは忘れたが、紺碧の海の色と、青く澄んだ夜空の色は、人工的な色彩だったが、強烈な印象として残っている。
日本映画ではカラー第一作の『カルメン故郷に帰る』(監督脚本・木下恵介)と『夜の河』(脚本田中澄江、監督吉村公三郎)である。特に『夜の河』の京都の大文字焼きの、旅館のシーンの赤い色は忘れられない。田中澄江はラブシーンが書けない(文字で表現できない)ので、シナリオの途中からは、打ち合わせだけで吉村監督が表現した。その時の障子に映る提灯の赤い色が強烈で、それをバックに山本富士子と上原謙のラブシーが華麗に展開された。
何処で映画を観たのだろう、それは記憶にないが、その赤い色が脳裏から離れず、霧雨の降る銀座あたりから京橋、東京駅まで
歩いたのを覚えている。そんな微かな記憶を頼りにシナリオ誌に原稿を書いている。さて、来月は何を書こうか……。



2009年11月28日(土曜日)


休みと決めた日は散歩に出るといい。近くに広大な砧公園があり、その中に世田谷区立美術館がある。と思ったが、広い公園は一回りするだけで疲れる。そんな時は美術館の中の喫茶室でのんびりコーヒーを飲むのがいい。心を空にして、ただ青い空を見上げていれば、時間とともに疲れも取れて行く。――そう考えて、庭に出て空を見上げたら、どんよりした曇り空だった。ダメだ、これでは心が空っぽにならない。昼寝して、目が覚めたら溜まっているビデオテープでもみよう。そうだ、借りていた『本田美奈子、最後のボイスレター』も、もう借りて一年になる。早く見終えて返さなくては。ごめん、上野さん。――そして見たビデオは、その一本だけ。結局、怠惰な一日を送りました。ごめん……



2009年11月29日(日曜日)

遂に七回目が来た。日記が七回続くなんて画期的なことだ。少年時代から日記は「二日坊主」だった。三日と続かないのだ。書きたくない日は、子供の頃から、何も書きたくない。母が心配して「毎日、日記を開く習慣を付けなさい。その前に、机の前に座る習慣が大切よ」と優しくいった。でも夏休みの「お天気日記」では、やはり二日だけで以後は空白だった。休みの終わり頃、母が新聞を持ってきて、「八月一日、晴れ、のち曇り」と読み上げ、オレは懸命にお天気日記帳に書き込んだ。終ると「毎日、机の前に座ることが出来ないなら、一日おきでもいいのよ。頑張ることって大切なの」といったが、オレには出来なかった。その代わり、面白い本に出会うと、小学校の授業中でも、先生に叱られても、帰りの路上でも、歩きながら読み通した。好きなことは好き、嫌いなことは今でも嫌いだ。……ごめん、母さん。


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