2010年1月25日(月曜日)
上の似顔絵は、事務局の久松さんが描いてくれた。全く絵心のない私としては、もう何と素晴らしく上手かと感心してしまう。実物よりやや細面に描いてある、その心遣いも憎い。久松さん、非常謝謝!(中国語で「物凄く物凄くありがとう!」)
さて、シナリオ作家のリレー日記だというのに家事の話から始まって恐縮だが、私は主婦でもあるので、少しでも書く時間を多く確保するために、たえず、家事の短縮を考えて来た。まあ、こう書けば聞こえはいいが、要するに手抜きの方法を探していた訳である。
後輩の女性脚本家や、主婦の講座生の方からも「シナリオ作家と主婦業の両立へのアドバイス」はよく求められたが、そういうときも私は「食器洗浄機を買うこと!」と答えたりして、どんな素晴らしいアドバイスを貰えるかと思った相手をずっこけさせてしまったのだが、三大家事が「掃除、洗濯、料理」だとすれば、掃除には掃除機、洗濯には洗濯機があるのだから、料理には食器洗浄機を活用して、ちょっとでも時間を節約してねというつもりだった。
部屋が少々散らかっていても、洗濯物が溜まっていても、「見なかったことにしよう」と掃除、洗濯をサボることは出来るが、料理だけは「どうして人間は一日に3食も食べるのだ!」と呪いつつも、作らなくてはいけないから、便利なものは何でも取り入れたほうがいい。料理は「材料を買いに行って、調理して、後片付けをする」という行程が多くて長いから、家事の中でも一番面倒なのだ。
ところが、あるとき「もう、トイレと食事とお風呂以外の時間は書かなくてはいけない」という事態になったら、却って、ちょっと料理を作りたくなった。料理という全く違う作業をすることによって、ドラマで飽和状態になっている頭の中をリセットできたのだ。ひたすら家事の「手抜き」を追い求めてきた私が、家事を「息抜き」にできると気付いて、それから、私はストンと家事を重荷に感じなくなった。
相変わらず、今も「便利、時間短縮グッズ」探しにはアンテナを張っていて、暮れに量販店へプリンターのインクを買いに行った時、「2分で歯がぴっかぴか」という広告につい乗せられて、電動歯ブラシを買ってきてしまったけど……。でも、便利よこれ。
2010年1月26日(火曜日)
毎週火曜日は、午前が水泳教室、午後が中国語教室という習い事デーだ。
脚本を書き始めると、パソコンや机の前に座ってばかりいる生活になって、体重は右肩上がり、そのうち、首こりや背痛を起こして、運動不足を痛感し、水泳教室に通い始めた。水泳は、相手が要らないスポーツだから、プールさえあれば、自分の都合のいい時間に運動不足を解消できると考えたのだ。
初めは教室に入らなかったのだが、自己管理の泳ぎ方だと「今日は寒いから」とか「締め切りも近いことだし」とか自分に言い訳して、つい泳がないから、教室に入ることにした。
入った途端、コーチから「水泳は体力は付きますが、体重は減りません」と言われてガクッときたが、確かに体力は付いて、次の冬からほとんど風邪を引かなくなった。
仕事が立て混んでくると、月に一回くらいしか行けないときもあるが、細々ながら続けてきたお陰で、肺活量が増えたのか、今では30分で1000メートルくらい泳げるようになった。友達もできたし、飲んだ次の日に泳げば、きれいアルコールが抜けるのが助かる。
中国語を習い始めたのは、夫が上海へ赴任になったのがきっかけだった。自分の一生のうちで、中国語を学ぶ日が来るなんて思いもよらなかったが、上海へ通わなくてはならなくなり、トホホと四十の手習いを始めた。
夫は思ったより早く赴任から戻ってきてくれて、私はもう中国語は必要なくなったのだが、教室の先生(上海出身の女性の先生。近年、日本人と結婚なさった)や友達と離れがたくて、続けようと決心した。
その中国語がご縁で、日中シナリオシンポジウム委員会のお手伝いをすることになった。
中国語教室も水泳教室同様、一ヶ月に1回とか2回しか行けない事があり、私は劣等生で、いつも「みんなの足を引っ張って、すいませーん!」と叫んでいる。中国語は読んだり書いたりするのは比較的簡単だが、発音が難しいので、会話が出来るようになるにはかなり努力しないといけない。
毎年、秋になって、日中シナリオシンポジウムが近づいてくると、「あーあ、この一年どうしてもっと勉強しておかなかったのか」と地団駄踏んで後悔するが、片言でも話すと、中国の方は喜んでくださるし、メールのやり取りは出来るから、それを励みに続けている。
そんな訳で、水泳も中国語も熱心な生徒とは言えないが、作協で講師をお引き受けするようになって、「先生」と呼ばれる立場になったとき、自分が生徒という立場でいることも大切だと感じた。「シナリオを書く」なんてことは、一生修行だから、私自身もまだ山を登る途中の身、これから修行を始めようとしている人の少し先を登っているに過ぎない。自分も生徒でいれば、そのことを忘れないだろうと思ったのだ。でも、何も劣等生でなくたっていいんだけど。
2010年1月27日(水曜日)
今日から金曜日までは、判で押したように同じペースで書く予定。朝9時から12時半まで書き、1時半から夕方6時まで書き、夜9時から11時まで書く。要するに追い詰められてきた訳である。
3日間で書き上がらないと、土曜日曜までずれ込む。週末は家族もいるので、何とか金曜日までに仕上げたい。
私はあまり気が散るというタイプではないので、家族が家にいて、周りをバタバタしても気にせず書けるが、家族のほうは、休日だというのに、妻や母が一日中、背中を丸めて原稿用紙に向かっている(私はぶっとい万年筆で原稿用紙に書き、それをワードで清書する)姿を見るのはさぞ辛気臭いだろうと思うので、なるべく、休日は仕事をしないようにしている。
シナリオ作家は、家が仕事場でもあるから、そこが居心地よくないと、仕事はやりにくい。その点、私は家族の理解があって助かっているし、ありがたいと思っているので、せめてそれくらいはと努力している。
私がシナリオ作家の道を目指した一番の理由はもちろん「シナリオを書きたいから」だが、「子離れするため」でもあった。私は子供がとても可愛かったから、過保護過干渉の母親でそれを自覚していた。「このまま行けば、子離れできない母親になって、かなりヤバイかも」という危機感から、自分自身が夢中になれるものを持つ必要があると感じた。
あるとても急ぎの仕事のとき、私は背痛を起こして、それを堪えてワードに原稿を打ち込んでいた。見かねた息子が「タイピングしてやる」と言ってくれた。原稿は私以外は判読不可能なので、私がシナリオを音読し、それを彼が打ってくれた。超高速ブランドタッチ、あっという間に清書が出来上がった。
それから、すっかり味をしめた私は、原稿用紙に書き終わったら「ねえ、暇?」と息子に声をかけてタイピングして貰うようになってしまった。さすがに無料では悪いので、1時間1000円。
音読していて、つい興に乗り芝居してしまったりすると「感情を入れなくていいから、普通に読んで」とぐさっと注意されたりして「あ、はい!」と言いながら打ってもらってきた。
その息子が、この春、社会人になる。「ああ、もう手伝って貰うことが出来ないなあ」と思ったとき、ハッと気付いた。子離れのためにもと思いながら書いてきたシナリオで、私はいつの間にか、息子に面倒を見て貰っていたのだということを。
2010年1月28日(木曜日)
家で仕事をしていて困るのは、勧誘電話を避けられないことだ。例えば「新車買いませんか?」などという電話、こっちが要りませんと言ってるのに「今は補助金も減税もあるから大変お得です」なんて話を20分も聞かされたら、とっても厄介。さてさっきどこまで書いたっけと、もう一度集中力を持ち上げなければならない。特にこういう、一気に書き上げたいという時には、その流れを邪魔するものは許せないという気分になる。幸い、昨日は静かな一日で、ほぼ予定の枚数を書けた。やれやれ。
先週は、「創作論講義」をお引き受けして「ラジオドラマの作り方」の話をした。
私は、縁あって、テレビもラジオも映画も戯曲もWEBシネマも書かせていただく機会を得たが、なかでもラジオはいくつか賞を頂いたこともあって、「創作論講義」では毎回、ラジオドラマの話を頼まれる。
今の時代、テレビは日常生活の一部になっているが、ラジオはほとんど聴かないという人が多い。友達や、水泳・中国語仲間は私が書いたもののオンエアを楽しみにしてくれているが、テレビの場合なら「○チャンネルで、○曜日の○時から」と伝えておけば済むものを、ラジオは「NHKのFMね、AMじゃなくて。東京はチューナーで82.5MHzに合せてね」というところまで説明しないといけない。
中には、ラジオを持ってないという人までいて「災害用があるでしょ、災害用が!」「あ、そうか。でもあれ、FMが入らないんだよね」という会話をかわすことになったりする。(この友人は、私のドラマを聴くために、コンピュータ内蔵の高級ラジオを購入してくれた。持つべき物は友である)
ドラマの作り方の基本は、どの媒体でも同じだが、音だけで表現するラジオドラマは、技術面でテレビや映画とは違うところがあり、「創作論講義」では、そのことも話すが、それよりもラジオドラマがいかに聞き手の想像力を刺激する奥深い世界かという魅力を伝えることに多くの時間を費やす。
その結果、講座生の方が、ドラマを聴いて涙を流してくれたり、ラジオドラマも書いてみたくなったと言ってくれたりした時には、講師冥利に尽きるのである。
2010年1月29日(金曜日)
昨日の夕方、知り合いでとっても仲良くしている女優さんから電話があった。以前から、共通の知り合いのディレクターさんと3人で飲もうと約束していたが、2人ともお忙しい方で、なかなか飲み会は実現しなかった。ところが、話しているうちに、その女優さんが「明日なら空いてる!」と言うので、ディレクターさんに連絡をとったら「僕も大丈夫!」という話になって、あっという間に、今夜の飲み会の話が決まった。ラッキー!でもちょっと待てよ。確か私、つい昨日、「こういう、一気に書き上げたいという時には、その流れを邪魔するものは許せない」とか言ってなかったっけ……。まあ、今回は例外と言うことで。だって、3人で飲めるなんて滅多に無いことだし(正当な理由)、とっても会いたい人達だし(言い訳)、私もここいらでちょっと一杯飲みたいし(本音)。
そんな訳で、夜、飲みに行くためには、家族が職場へ学校へと出かけたら、脱兎のごとく机に走って行って、せっせと書かなくちゃ。
私は中学2年まで、大阪で暮らしていた浪速女。もう東京の暮らしのほうがずっと長くなったが、未だに家では関西弁が出る。今のように、お尻に火がついてきたような状況のときは「こらあかん。えらいこっちゃ」という言い方が気分にぴったりな表現である。
この正月にオンエアになったラジオドラマは全編、沖縄言葉だったが、私は沖縄言葉は使えないので、初めは標準語で書いていた。しかし、何となくしっくり来ないので、思い切って関西弁で書いた。特に、主人公が夫の浮気現場に乗り込むシーンなどは、主人公に乗り移って、関西弁で啖呵を切りまくった。そしたら、関西弁のほうがニュアンスが出て良いと好評だった。そのニュアンスをうまく捕まえて、方言指導の方が、沖縄言葉に直して下さった。
子供の頃、まさか自分がシナリオを書く人間になるとは思いもせずに使っていた言葉だったが、今は、関西弁を話せることは、シナリオ作家にとっては大きな財産だと気付いて、大切にしている。
2010年1月30日(土曜日)
昨夜は女優さんとディレクターさんと3人で、大いに楽しく飲んだ。2人は仕事仲間であるが、友人でもあるという大切な人達だ。
ドラマ作りは、そこに関わる人たちが、それぞれの技を持ち寄って、その技を足し算して出来上がっていくもののように思うが、上手く行ったときは、足し算ではなく掛け算になる。例えば、それぞれの技が10あったとすれば、10+10+10=30だが、これが10×10×10=1000になるという訳だ。ドラマには大勢の人が関わるから、掛け算の場合、その合計は天文学的な数字になる。
掛け算になるケースは、そう度々ある訳ではないが、私の場合、彼らと組むときはいつも掛け算になる。
女優さんは、演技だけではなくプロデュースも後輩の育成もする才能とやる気の溢れた人なのに、外見は頼りなげで、そのギャップがまたいい。
ディレクターさんの方は、いつも超多忙のはずなのに、その忙しさを全然感じさせないで、淡々と素晴らしい作品を産んでいく。
私は、二人を大変尊敬しているし、信頼もしているが、彼らもまた、シナリオとそれを書く人へ大きな尊重を持って接してくれる。
私がもしこの仕事をしてなかったら、こういう人達と出会うことはなかったなと思いながら飲む酒は格別であった。
2010年1月31日(日曜日)
やっぱり、仕事は週末にずれ込んだが、昨日ようやく目途が付いて、ホッ。
実は、この仕事、予定では先週に出来上がり、今週は「キャピタリズム」を観に行ったり、フェリーニのDVDをレンタルして来たり、「ミレニアム」を読んだり(読みたいのに読めないでぐずぐずしているうちに映画が公開されてしまったではないか)しようと予定をたて、この日記も余裕で書いているはずだった。
それが、どうして、今週、ヒーヒー言う羽目に陥ったか?
敗因は国会中継。私はいつもお昼にニュースを見ながら食事をして一息つくことにしているが、先々週からはニュースではなく国会中継をやっている。そしたらついつい見入ってしまって……。特に今回の国会中継は与野党入れ替わっての質疑応答だったから、立場が変われば言うことも変わって面白かったし、日本の問題山積を、新与党が、どう解決しようとしているのか興味もあった。「締め切りは月末、まあ来週頑張ればいっか」って感じで、私も、テレビに向かって野次を飛ばしたりして……。だから、今週こうなったのは全て自己責任です、ハイ。
そう言えば、もうすぐバンクーバーオリンピック。スポーツは結果だけを後でニュースで知ったって全然つまらない。だって、いかに戦うかにドラマがあるのだから。ああ、どうやって「見たい!」という誘惑を振り切ればいいのだろう!
と、言うような訳で、私の日記は本日で終わらせて頂きます。お読み頂いてありがとうございました。なお、今週、日記の管理をしてくださった宮下さん、「辛苦了!」(中国語で「お疲れ様でした!」)