2010年6月15日(火曜日)
六月八日(火曜日)
朝、とりあえず、昨日の雑談の内容のメモを作り、午前10時に監督と合流。
監督は、一階の喫茶で朝食を食べていた。
部屋に戻った時、小生がテーブルの下に落ちていた薬袋をみつけ
「飲まないでいいのですか」と聞くと、「忘れていた」と慌てて飲まれる。
部屋に戻ると、おもむろに雑談が始まる。
鈴木監督から
「今回はシーンごとに細かく話し合うのではなく、内容に関して思いつくままにドンドン雑談していこう」
と言われる。
雑談と言っても、お互いにプロットと睨めっこしながら真剣に話し合うと言う感じではない。
鈴木監督はその日の新聞の朝刊を読みながら思いついたように、物語の断片について話し、その話に対して、原作やメモをぼんやり眺めていたり週刊誌を読んでいたりする小生が、そうするならこんな展開にしても面白いのではないかと再提案したりする。
或いは、小生がプロットで気になる部分に関して、こうしたほうが面白いと思いますが、どうですかねと問いかけたりすると、その変更を加えるのであればこうしたらどうなるか等と、監督と二人で勝手に物語を膨らましていき、それが物語へと波及し、物語全体の流れも当然変化していくのだ。
そして、話が行き詰ると、仕事とは関係の無い話題へと移行する。
話題は先週の鳩山内閣の辞任に伴い、立ち上がった菅内閣や政治の話題がどうしても多い。
「小沢は最近、時代からズレ始めているな。今回の田中真紀子擁立の画策といい、ヤワラちゃんの立候補にしても、あきらかに時代にソッポを向かれ始めた」
「確かに、終わった印象ですね。なんか昭和の政治家の終焉って感じですね」
「あれほど時代の感覚を掴むのが鋭かった政治家はいなかったのになぁ。俺は好きで昔から観察していたんだ」
などの話題から、今の時代が求める芝居ってなんだろうか? なんて話になり、再び物語に戻っていくの繰り返しだ。
そしてこの日も、あっと言う間に昼食となり、そばが食べたいという監督を住吉のやぶ蕎麦に案内しようとすると、面倒だから近くでいいと言われ、近くにある蕎麦屋の「十和田」で昼食。
この「十和田」という蕎麦屋は、小生結構お気に入りの店。おいしいですよ。
食後、そのまま、二人で浅草をブラブラと散策。
今の浅草はとにかく、外人と修学旅行の学生が多い。
特に一見すると日本人と変わらない中国人が最近は特に多いという印象です。
1時間ほど二人で散策し、旅館へと戻る。
雑談は、物語だけではなく、登場人物の造詣に関しても話題にもなる。
主人公は勿論、気になる登場人物の性格や行動についてお互いに勝手な意見を話す。
そして作品の中で輪郭のはっきりしない登場人物の肉付け。
「○○なんですが、これといった芝居場がないですね」
なんて話題から、雑談が始まる。
そこで、作品の中で、その人物を際立たせるためには、どんな芝居や台詞があると面白いのかといった話題へと拡がっていく。
これで瞬く間に時間が流れ、散歩をしながらの夕食。
この日は、近所の居酒屋に入り、酒を酌み交わしながら、その日一日で、新たに出た作品の内容ととりとめない雑談を肴にして解散。
楽しい一日が今日も終わりました。
2010年6月16日(水曜日)
6月9日(水曜日)
予定では、この日が打ち合わせの最終日。
いつものように10時に合流すると、チェックアウトの12時までに、この2日間の打ち合わせでメモした内容をノートパソコンに清書し、フロントでプリントアウト。
それを鈴木監督に渡すと、監督がそのプリントを眺めながら、
「これは面白いものになりそうだな」
と呟き、ホッとした小生に、監督が
「小久保。もう一晩泊まろう」
といきなり言う。
どうやら何か気になることがあるようです。
急遽、延泊の手続きを済ませ、そのまま昼食に出かける。
今日の昼食は洋食「アリゾナ」
この洋食屋は永井荷風が愛した店で、店内には大きな永井荷風さんの写真が二枚飾ってある。鈴木監督は、注文の間、その店内をフラフラと歩き回り、
「小久保。あそこに新藤兼人監督の写真があるな」
と嬉しそうに話す。
見に行くと、レジの脇にある写真盾に多分「墨東奇譚」の時と思われる、津川さんに芝居をつけている新藤監督の直筆のサインの入った写真が飾られていた。
昼食を終え、部屋に戻り雑談を始めるといきなり監督が
「大詰の最初の第一場に、序幕のこの芝居を持っていったらどうかな」
と話し出す。
・・・なるほど、確かに面白い。
そうすれば、少し懸念されていた大詰の芝居の導入が舞台らしく派手になり、その上、主役も同時に立つようになる。
延泊したのは、これが気になっていたのだと、ピンとくる。
どうせなら大詰の幕開けにふさわしい華やかなシーンに仕立て上げるといいのではと、太鼓を使えないかとか、いろいろとアイディアをぶつけ、旅館の下にあるインターネットで、何か面白い仕掛けがないかと調べてきますと、監督を残して部屋を出る。
そして、旅館のインターネットで資料を揃え、部屋に戻ると監督はふとんに横になり、昼寝をしていた。
起こすのもなんなので、そのまま部屋を出て、何か参考になる映像でもないかとツタヤに向かい、一枚参考になりそうな映画を見つけ、時間を潰して戻ると夕方にようやく監督が起きた。
監督に念のために持ち込んでいたDVDのポータブルプレーヤーでその映画を再生し見せると、監督はその映画の内容よりも、
「便利な世の中になったな」
と、ポータブルプレーヤーに興味深々。
更に、インターネットからプリントアウトした資料にも目を通し
「今日は、あそこに行こう」
と監督。
「あそこ」とは、浅草の場外馬券売り場の裏に広がる、通称「ホッピー横丁」(この呼び方は地元だけかも知れませんが)。
しかし水曜日は、浅草全体が比較的休みの店の多い日。
それでも何軒かの店は営業しており、その一軒の店に入る。
そこで監督が
「もう一泊したいが、小久保大丈夫か?」
「まだ何か気になることがあるんですか?」
「いや。浅草楽しいから、100泊したいぐらいだが、せめてもう一日だけは、ゆっくりしたい」
「(明日の大学は休講するとして)実は夕方から知り合いの退職祝いのパーティーの進行をしなくちゃならないんですが」
と告げると
「それは、お前の得意分野じゃないか。時間になったら行っていいよ。明日はゆっくりするだけだから」
いままでは、雑談をしているとはいえ、一日中作品について考えていたので、書き始める前に、一度頭の中をリセットしたいのだと勝手に推測する。
そして、瞬く間に今日も一日が終わった。
2010年6月17日(木曜日)
6月10日(木曜日)
早速朝一番に大学に休講の連絡を入れ、旅館のフロントにもう一泊したいと告げる。
旅館の仲居さんは、少し怪訝な顔をして
「一体、ここで何をしているのですか」
と、この時に聞いてきた。
そういえば、なんのために宿泊しているのかを、必要もないので伝えていなかったのだ。
確かに、食事の時以外は二人で部屋に篭り、部屋の掃除も断っていた。
そして夕方になると、仕事の抜けきらない、難しい顔をした二人が、フラフラと夜の浅草へと出かけていく。
事情を知らない仲居さんにしてみれば、不審この上なかったに違いない。
隠す必要もないので、
「実は舞台の台本を書くために宿泊している」と告げると、驚いて
「どんなお芝居を書くのですか」と聞いてくる。
「実は内容はまだ公表できないのですが、今泊まっている人は、丁度今、午前中に再放送している「暴れん坊将軍」なんかの脚本も書いている先生なんです」
とこっちも適当に答える。
それを告げてから、今まで、掃除とかも断っていると、それなら楽だといわんばかりの対応だったのに、昼食のお出かけの間にお掃除いたしましょう。頼みもしないのに夕刊を持ってくるわ。こまめにポットのお湯を取り替えにやってくるわ。
まあいいか。
昼食は、天丼が食べたいというので、「大黒」は少ししつこいので、「尾張屋」でどうですと聞くが、近くで良いからと言われ、近くにある天ぷらやで、浅草名物といっていいのか「あなご天丼」を食した。
飛び込みで店も知らなかったが、そこそこおいしかった。
食後に、監督の希望で、本屋に立ち寄り、旅館へと戻る。
旅館の室内は、見違えるほどきれいに掃除されていた。
暫く雑談をしていると
「小久保、用があるならもう行っていいよ」
と監督。しかし、まだ時間が早いので
「3時になったら出かけます」
と告げ、監督の夕食の段取りだけをしておこうとフロントに行き、監督が
「浅草に来て、旅館の食事なんかしたくない」
と言ってるとは、まさか言えず、
「僕はこの後出かけるのですが、先生の夕食が何時になるかわからないので、どこか近くで出前をしてくれる店ありませんか」
と聞くと、さすがに一瞬(それならうちの食事があるのに)という顔になるが、
「先生ですもんね」
といって用意してくれた。
監督に
「夕食時、もしも外にでるのがしんどかったら出前もありフロントに話して在ります。僕は帰りが9時ごろになります」
と告げ、小生はパーティー会場の銀座へと向かう。
銀座でのパーティーは、東京現像所の営業をしていた、谷信弘さんの退職を祝う会。
本人の希望で、みんなが集まってワイワイ酒を呑めればいいというので、派手な演出は避け、簡単な挨拶だけの単純な会でしたが、100人の会場に140人以上も集まり、谷さんの人柄が出た、すばらしいパーティーとなりました。
小生、再び監督の下に戻るので、アルコールはビール一杯だけにして、8時過ぎに会場を後にする。
浅草の駅から、旅館に電話を入れると、監督は食事は済まされていて、寝酒を飲みたいと言う。
とりあえず、コンビ二でス監督の日本酒と自分のビール、つまみを買い旅館に戻る。
9時過ぎから、旅館の一室で男二人の酒盛り。
仕事の話はもうしない。
監督は、京都時代の頃、掛札さんや志村さんと一緒にやった台本作りの話や、文太さんを始め藤(富司)純子さんなんかの話をされる。
監督は、普段はそのような話をなかなかされないので、貴重なお話でした。
そして瞬く間に時間が過ぎ、この日も12時過ぎに解散。
2010年6月18日(金曜日)
6月11日(金曜日)
構成も終わり、いよいよ今日は最終日。
いつものように午前10時に部屋に伺うと鈴木監督は既に支度を終えて待っていた。
もう大丈夫だというシグナル。
まだすぐに出る必要はないが、支度をしたまま部屋にいるのも落ち着かず、どちらからともなく
「そろそろ行きますか」
と旅館を後にする。
旅館を出て、仲見世に向かって歩いていると、中年のおばさんが、たどたどしい日本語で
「リョカンのミカワヤにイキタイケド、シッテマスカ」
と聞かれ、振り向くとすぐ後ろがその旅館「三河屋」であったので、
「そこですよ」
と言うと
「アリガトゴザイマス」と言って、旅行バッグを転がして去っていく。
監督が
「俺もとうとう、浅草の人間に思われたな」
と無邪気に笑い。
「でも監督。いまのおばさん。持っていたおばさんの袋に上海なんとかって書いてありましたよ」
すると監督は、まだ3メートルも行っていないおばさんに向かって
「日本語お上手ですね」
とその後姿に声を掛けると、振り向いたおばさんは、笑顔で
「カイワをスコシ、ナライマシタ」
「でも上手ですよ」
「ワタシ、ニホン、スキタカラネ」
監督はそのあとそのおばさんに手を振って、オバサンも振り返す。なんか監督らしい。
その後、地下鉄の駅まで向かい、神谷バーを見て、
「今度はここだな」
と話し、
「どこか浅草らしい喫茶店で休みたい」
といきなり言う鈴木監督。
いきなり言われても困るのです。だってそりゃ浅草らしい喫茶店は一杯あるけど、この辺りでと言われても・・・・
ともかく近くの喫茶店に入り、雑談をひとしきりして二人揃って店を出ると、店員が飛び出してきて、
「お客さん。お勘定!!」
なんと二人とも
「ごちそうさまでした」
と言って、お金も払わず堂々と店を出ていたのだ。
こうして監督とのあっと言う間の5日間が終った。
2010年6月19日(土曜日)
6月12日(土曜日)
この日から、とりあえず、大詰の方から簡単な下書きを自宅ではじめようとするが、とにかく部屋が暑い。
冷房をつけたいが、今週はいままでほとんど家にいなかったので、エアコンは、まだ掃除をしていない。
午前中机の前に座るものの、ボーッとして考えが全く纏まらない。
仕方なく、妻と相談して、家の冷房を全ての掃除をすることを決める。
今は「エアコン洗浄スプレー」なる便利なものがある。
それで冷房を一台づつ、掃除をしていくが、これが結構大変。
そして全てのエアコン掃除が終わったのは夕方過ぎ。
暑い中、気力も体力も削がれた小生は、その後に執筆に入る気力もなく。
あえなくダウン。
この日唯一良かったのは、汗だくになり、風呂から上がって、その疲れきった体に流し込むビールでした。
2010年6月20日(日曜日)
はじめ、この話を頂いた時(6月4日頃)、丁度これから鈴木則文監督と一緒に台本作りに入るので、来週(6月7日から13日)なら、丁度良いと申し上げたら、既に来週の執筆は確定しているので、再来週(14日から20日)でお願いしたいと連絡を受けた。
しかし、どうせこのような日記であれば、ひとり家でボソボソと書いている様子を綴るよりは、たとえ1週間ずれたとしても、共同作業の現場を綴ったほうが面白いと勝手に決めて、一週間さかのぼり、お付き合いいただきました。
自分自身の表現の拙さ、また発表前の作品ということもあり、本来であればもっと具体的なお話をしたかったのですが、素材そのものに関して表記することが出来ず、物語構成や人物造詣に関して、抽象的な表現とならざるを得なかったことで、読みにくい部分が多々あったことをご容赦ください。
しかし、鈴木監督との共同作業は、考えてみれば、10数年ぶりの事であり、毎日がワクワクドキドキの毎日でした。
考えてみると、師匠には、一から、映画作りに関して色々と教えてもらった。
小生が映画製作の現場に幻滅し、映画から離れようとした時も
「何をしているんだ、戻ってきて手伝え」と電話を受けたのも、
「次は助監督チーフをやれ」と言われたのも、
「これは俺の作品じゃないからお前が撮れ」と監督にしてもらったのも、鈴木監督。
脚本に関しても、助監督の時に撮影の現場で、いきなりセットの隅に呼ばれ、
「小久保。これから撮影する、このシーンだけど、主役が出ずっぱりなのが、気になる。出ないとどうなるか」
と聞かれ、とりあえず、
「こうすれば、出なくてもいけるんじゃないですか」と、答えると、
「じゃあ、それで今から書いてみてくれ」と言われる。
撮影現場では、その撮影の番手を急遽変更。
その稼いだ時間にセットの隅で、小生は、原稿用紙に改訂を書きあげ、撮影を進める監督のところに持って行く。
監督は原稿を読んで、
「うーん。やっぱりそうするしかないよな」
「はい。そう思います」
「わかった。じゃあ、やっぱり台本通りに撮影する」と言われた。
その時は、ショックだったが、よく考えてみれば、監督自身が書いた台本。
そんな疑問は、執筆段階で気づいていたのは間違いない。
それでも撮影の直前にやはり気になり、小生に一度シナリオの形にさせて確認したかったのだろう。
こうして、撮影現場での、準備、撮影、仕上げを通して、導かれるようにシナリオを学んできた。
その後。シナリオ執筆の経験も実績のない小生に対して、
「お前、1ヶ月、どれくらいあれば生活できるんだ」と聞かれ、
「○○くらいあれば、なんとか」
「じゃあ、これから1ヶ月分を俺が払うから、これの台本を書いてみるか」
と言われた。
残念ながらその台本は、別の問題が起きて映像化できなかったが、その後も何度か、共同での脚本作りをさせていただいた。
あの時の経験がなければ、今の自分はない。
そして今回、短かったが、久しぶりの鈴木監督との作業。
楽しかった。とにかく楽しかった。
そんな楽しさが読まれた方に、ほんの少しでも伝わってくれれば幸いです。
一週間おつきあいいただき、本当にありがとうございました。