2010年1月19日(火曜日)
ほんの数年前までは、長時間留守にしても空き巣など気にしなかった。だが、最近は近所に3度連続して被害にあった家があるという。だから今日もひとり家にいる。
――と書いたのは口実で、外出するのが面倒になったらしい。出かける先はたくさんある。映画宣伝会社のみなさんが試写状を送ってくださるからだ。会場入り口では笑顔で迎えられ、試写が終われば配給部の若いお嬢さんにやはり笑顔で映画の感想を聴かれたりして……いい気分になれるのはわかっている。なのに、なかなか腰をあげる気にならないうちに上映開始時間が迫ってきて、まあいいや。次回の試写には必ず!
こんな日々の繰り返し。我ながら情けない。
2010年1月20日(水曜日)
今日も留守番である。暇に任せて雑誌「シナリオ」連載中のエッセイに取り掛かる。締め切りは来月。気が早すぎるような気もするけれど、遊休タイムの使い方としては最高! 意気込んで書き始めたが、半日経ってもペラ2枚ぶんもはかどらない。即、挫折だ。
昔はシナリオの10枚や20枚、気分が乗っても乗らなくても半日で書けた。映画の批評文なら2時間もあれば完成した。
今では雑文すら簡単ではない。昔が嘘のようだ。
2010年1月21日(木曜日)
近頃肥って困るんですと病院の主治医に訴えたら、ホルモン治療をしているのだからやむをえない。散歩をしなさいと言われた。重い腰をあげて近所の公園へ。うつむきがちに池の周囲をトボトボと散歩する老人たち。みんな漂っているようだ。一目見た瞬間、中川信夫監督の『地獄』の地獄のシーンを思い出した。手をダラリと下げてさまよう亡者の群。
名匠は当時50代半ばにして老いの果てに死が待っていることを悟っていたのだ!
2010年1月22日(金曜日)
『ハート・ロッカー』試写の初日を六本木で見た。開映30分前に着いたのに満席、補助席しかない。評判が高かったとは全然知らなかっただけに、びっくりした。監督はキャスリン・ビグロー。1004年のバクダッドで活躍した米軍爆発物処理班の話。
時限爆弾相手に生命を張る男たちを描いているのだから、出だしからラストまで手に汗を握った。アメリカのイラク侵攻に対する罪悪感がないという批判が出るだろう。だが、対象への凝視力、スケール感、演出力をこれほど兼ね備えた女性監督が、わが国に出現するのはいつのことだろうか。
2010年1月23日(土曜日)
昨日は春のように暖かかったが、今日は冬の寒さに逆戻り.近頃、シナリオを書いてなぜか我が家に送ってくる人が増えた。2時間ものを読むのに二時間はかかる。シナリオ講座などの機会に私の生徒だったならともかく、面識もないのに突然送りつけられても困る。年をとって視力も大いに減退している。読んでほしいのなら、シナリオ作家協会のシナリオ講座に参加してください。
2010年1月24日(日曜日)
一週間のお役目も今日をもって終了となる。
日記というものは中学生の頃書いたきりだったことに気がついた。
だが一方、敗戦直後、映画館から帰ると見てきた映画の題名、監督、俳優の名前をメモし、リストを作りはじめた(脚本家もメモすべきだったが15歳のガキには無理だった)ことを思い出した。いい加減なリストだから、つけ落としたりつけなかった映画(たとえば海外で見てきた映画)もかなりあるが、その作業は半世紀以上経った現在もつづけている。
今、ハッと思ったのだが、日本が負けたばかりの夏の日、焼け跡で見た映画をメモった瞬間から、私はシナリオや映画の雑文を書いて一生を終えなさいと決定されたらしい。運命の女神の導きだとすると……ある戦慄めいたものを覚える。