映画人囲碁大会には様々な思い出がある。
前回の参加は一昨年だった。脚本界最強の打ち手である下飯坂菊馬さんも参加していた。下飯坂さんは、対局に飽きてしまったのか、「あとはよろしく頼む」と言い残して途中退場してしまった。
手を振りながら、日本棋院のエレベータに向かう後ろ姿が最後になってしまった。泉下の人となり、もう打てなくなってしまったが、下飯坂さんの華麗な手筋と、優しい人柄はいつまでも忘れられない。
十年ちょっと前には、相米慎二監督とこの会場で囲碁を打った。それが出会いであった。最後は、十文字映画祭の温泉での打ち上げの席であった。大広間に碁盤を用意してもらい、囲碁を打ちながらお酒を飲んだ。それが相米さんとの最後になってしまった。相米監督とはほとんどつきあいはなかったが、最初と最後は囲碁が縁であった。
表彰式が終わってから、参加者と有名棋士で、市ヶ谷の焼鳥屋に入って宴会になった。
優勝者は出なかったが、それぞれ好成績を残したので、私以外は和気藹々とした会になった。
二次会は、神楽坂のラーメン屋へ移動した。
日曜祝日は定休日なのだが、明日のラーメンのスープの仕込みで主人がいることは周知している。以前根岸さんとも行ったこともあった。
そこで、電話を掛けて店を開けさせ、チャーシューやメンマを肴に、大宴会となった。
主人の松崎さんは、藤沢秀行さんのNHKのテレビ番組を観たばかりだったので、そこに登場する愛弟子が我々の一行に加わっていることにいたく感激してくれた。
定休日だから従業員がいないので、勝手に冷蔵庫からビールや「菊姫」の大吟醸を取り出して飲み続け、締めはラーメンとチャーハン。
この店のラーメンは、抜群にうまい。
主人の松崎さんは読書家で、スープを仕込む鍋の傍らでいつも本を読んでいる。店内には「読書新聞」が置かれ、私の勝手な願いを聞いてくれて、「月刊シナリオ」と「映画芸術」も毎号定期購読して店内に置いてくれている。
わがままついでに、有名棋士が来てくれたのも何かの縁なのだから、朝日新聞の「週刊囲碁」も置いて下さいとお願いしたら、人柄のいい松崎さんは二つ返事でOKしてくれた。
この次に行けば、ラーメンを食べながら、囲碁新聞が読める仕掛けになっている。
という流れで、さんざん飲んで、きっちり電車で帰った。
このとてつもなく美味いラーメン屋は、「りゅうほう」という屋号で、地下鉄神楽坂近くの路地を入ったすぐ左手にある。
近くに行くことがあったら、騙されたと思ってラーメンを食べに立ち寄って欲しい。
かなり濃い味なので、好き嫌いで分かれるかもしれないが、私はこの店のらー
ただし、正統派の由緒正しいラーメン屋である。決して飲み屋ではない。(念のため)
今日は、囲碁大会の不振と宴会の素晴らしい盛り上がりで、一勝一敗のドロー。
2010年1月12日(火曜日)
気分転換に、本棚から古い本を取り出した。
1973年から『月刊シナリオ』に連載されたコーナーを一冊にまとめた『作家の目 シナリオとは』(映人社)という本だ。
20代の頃から、何度かこの本を読み返した。
石堂淑朗、井手俊郎、橋本忍、白坂依志夫、依田義賢、新藤兼人、八住利雄、井手雅人、鈴木則文をはじめ、そうそうたる面々がシナリオについて書いている。
ぺらぺらとページをめくる。
「私は生まれながら、どこの馬の骨かわからぬ大衆の一人であって、お家柄だの昔名家だったのという血筋をひいた人間ではない。日本近代化のためにあっちこっちと振り回された物言わぬ大衆の息子であるし、そんな育ち方をして来ている。だから大衆を動かす才はないし、大衆に何か教える教養もない。私が映画監督として出来るのは、大衆を主役にすることであり、大衆の存在を証明し、そのつらさやみじめさを正確に表現し、彼らもアタリキの人間なのだ、馬鹿にするな! としめすことだけである」
私の好きな文章で、何度も読んだ。
書いたのは浦山桐郎監督。氏の作品が、お涙ちょうだいで感傷的で大衆追随主義だという批判に対する回答として書かれた。この文章には、大いに共感している。
浦山監督のフレーズを反芻し、「うん、そうだ」と自分に言い聞かせて、仕事に取りかかる。
仕事といってもシナリオではない。ある書籍が文庫化されることになり、その後書きを頼まれているのだ。
夕方までパソコンに向かい、6時15分、新橋駅のSL広場に夫婦で向かう。
脚本家の安倍照雄さん、平山秀幸監督ご夫妻との食事会があるのだ。
安倍さんとはちょくちょく一緒に酒場探訪をする間柄だ。昔から、ぜひ平山監督のご夫婦と一緒に食事会をしましょうと誘われていた。そこで昨年、今日のお店をリザーブした。なかなか予約が取れないお店で、年が明けた今日しか押さえられなかった。
ともあれ、やっと平山監督ご夫妻との食事会が実現した。
気軽なフレンチでワインを飲む。
安倍さんの軽妙な話術で場が和む。ボケる安倍さんに、満面穏やかな笑みをたたえた平山監督が間髪入れず突っ込む。その呼吸は見事だ。ふたりは映画『てれすこ』でコンビを組んでいるが、プライベートでもずっと親しい関係にある。だから、気心が知れた間柄だ。奥寺佐渡子さん脚本の『しゃべれどもしゃべれども』では、平山監督が安倍さんを俳優に起用した。今年の初夏に東映で公開される平山監督の次回作『必死剣鳥刺し』にも出演している。藤沢周平の『隠し剣シリーズ』の時代劇だが、安倍さんは、何と主役である豊川悦司の中間という重要な役だ。
最近の安倍さんは、別の映画からも俳優としてのオファーが来たりする。
「いっそのこと、日本一脚本がうまい俳優として売ったら?」とからかうと、「そんな冷たいこと言わないで下さいよォ」と言いながら、嬉しそうに笑ってくれる。
もちろん安倍さんは一流の脚本家で、今も平山監督のためにある企画の脚本を執筆中だ。
上機嫌の安倍さんは、「平山監督はフェアなんです。しんどいけど、いやな思いをしたことはいっぺんもないんです」と話りながらワインのグラスを重ねた。
今年の夏クランクイン予定の平山監督の次回作についても話を聞かせてもらい、はたしてそこにも俳優安倍照雄は登場するのかと訊ねたりしながら、腹の底から笑い、おいしい食事をした。
レストランを出ると雨が上がっていて、気持ちがいいのでもう少しだけ飲もうということになり、別の酒場に入った。
寒い夜だったので『伊佐美』と『兼八』のお湯割りにした。いつ飲んでも美味い酒だ。
勘定は安倍さん持ち。太っ腹なのだ。最近安倍さんは、京王線沿線のマンションを、何とぽーんとキャッシュで購入した。閑静な地に建つマンションの最上階の一室らしい。おそらく、誘惑を遮断し執筆に集中するために、あえて都会の喧噪を離れたのだろう。そこまで気合いが入っているのだから、今年の安倍さんは、とてつもないいい脚本を仕上げるに違いない。やはり本物の脚本家だ。
そんなこんなで、楽しい酒が続いた。
平山監督も安倍さんも、ほんとうに美味そうに酒を飲む。嬉しそうに酒を飲む人に悪い人はいない(と思う)。
きっと、この二人のコンビは、監督と脚本家として最高の組み合わせなのだろうなァとうらやましかった。
組み合わせといえば、平山監督と奥さんも、とてもいいカップルだ。夫唱婦随を絵に描いたような、いいご夫婦である。
今日は、酒良し、人良し、料理よしの完全勝利!
ちなみに、日記を読むと大散財したように誤解されがちだが、文章中に登場するすべての価格は超激安。(念のため)
2010年1月13日(水曜日)
13時30分より、東京地裁の裁判を傍聴した。
『やわらかい生活』の年鑑代表シナリオ集掲載拒否を巡って、荒井晴彦さんと社団法人シナリオ作家協会が原作者絲山秋子を訴えた裁判だ。
最近の原作者は、映画への介入がはなはだしくなりつつある。脚本に関する注文がない原作者の方が少ないぐらいだ。
このままでは、いずれ、演出に関する部分まで口を出す原作者も出て来るだろう。
表現が違うのだから、小説と映画は別物である。
映画という現場で、原作者だけが、映画の素人であるということを認識して欲しい。
素人がプロにあれこれ指図するのは、釈迦に説法だし、越権行為でもある。
どんな表現でも、その道のプロが作る方がいいに決まっている。
法廷にぎりぎり到着したが、傍聴席には、脚本家と脚本家の卵の人たちが大勢駆けつけてくれていた。
皆、忙しいのに、ほんとうに立派だ。
次回の口頭弁論にも、多くの人が傍聴に来て欲しい。
16時からは、シナリオ会館の6階で、シナリオ講座、昼の研修科の新年会があった。
渡辺千明先生に誘われていたので、私も参加した。
ホワイトボードに出し物が書かれ、楽しい新年会だった。
ビールを片手に、受講生の『秋田長持唄』の美声に胸を熱くした。神奈川県大会優勝という実績を持つ彼女の歌は見事というしかなかった。
昼の研修科は、チームワークがとてもいい。おそらく、渡辺先生を中心に、生涯にわたってつきあい続ける仲間になるのではないかと思う。
後ろ髪を引かれる思いで新年会を中座し、夕方から、成島出監督、渡辺敦プロデューサー、視覚効果の橋本満明さんに会うために、新宿に移動した。
ある映画の企画を進めていて、その打ち合わせ、というよりも、顔合わせを兼ねた新年会のような集まりであった。
長年やりたいと思っていた原作があって、その映画化を相談しながらお酒を飲むという趣旨の会だ。
莫大なお金がかかる企画で、なかなか企画は通りそうにない。そこで、私がシナリオを書いた。シナリオがあれば、キャスティングが決まり、キャスティングが決まれば企画が通るのではないかという考えに至ったからだ。
誰に頼まれた訳でもなく自発的に脚本を書いたのだから、もちろんノーギャラ。映画が実現しなければタダ働きとなる。だが、映画として成立した暁には、莫大なギャラがもらえることになっている。(お願いします)
早く言えばギャンブル。脚本を書くのはタダだと思われているが、執筆中の生活費もあるし、地方の都市や山や温泉を巡って原作に登場する地をシナハンしたりという経費もかかっている。それが博打のタネ銭だ。
幸いなことに、原作者は、私の初稿を読んで、原作を預けてくれることを約束してくれた。映画化に向けての変更点もかなりあったが、納得できる改訂ですという言葉ももらった。
いい原作者もいるのである。原作者でも、さまざまだ。
成島監督とは、今年の6月に公開される『孤高のメス』という東映映画で、初めて監督と脚本というコンビを組んだ。
今までは、『日本沈没』『クライマーズ・ハイ』と仕事をしたが、いずれも共同脚本というコンビ。いよいよ今回の『孤高のメス』が正念場だ。
嬉しいことに、昨年から地下鉄の駅に、映画のポスターが貼られてある。半年も前から宣伝のポスターを貼ってもらうというのは初めての体験だ。
『孤高のメス』は、脚本に2年という時間がかかった。その苦労話などを肴に、焼酎のお湯割りを飲んだ。
お酒ですっかり体が温まったところで、今日もきっちり終電前でお開き。
今日は、『秋田長持歌』の美声を聞けたので、快勝!
2010年1月14日(木曜日)
1月14日は私の誕生日。
子供の頃は、シュバイツァー博士と同じ誕生日であることが誇りだった。
やがて、三島由紀夫も同じ誕生日であることを知った。
私と同じ昭和29年生まれには、ルー大柴、萩尾みどり、石田純一などという有名人がいる。
生年月日が同じだと、なぜか親近感が湧く。
石田純一が、現役で恋愛沙汰を繰り返していることは、ちょっと嬉しかったりする。
今日は、夕方6時から、自由が丘の「金田」という居酒屋で、新年会が開かれた。
どうせなら私の誕生日に新年会をとお願いし、作家協会の村川康敏さんが幹事で、若手の会員に呼びかけてくれた。
私も、シナリオ講座、日本映画学校、早稲田大学大学院の、私の教え子たちに声を掛けた。
結果、総勢24名という大宴会になってしまった。
「金田」は、昭和11年創業だから今年で73年目の老舗。自由が丘では一番古い酒場だ。
山口瞳や吉行淳之介といった文人が通った店で、「金田酒学校」とも呼ばれている。カウンターで静かにマナーよく酒を飲む店だからだ。居酒屋の本には、名店として必ず掲載されている。
3階を貸し切って、心おきなく飲んだ。
さんざん飲んで、2次会は、近くのモツ焼き屋の2階へ流れた。
階段を上ると、場末のスナックのようなお店だった。カラオケがあり、ほとんど東京とは思えないような内装のセンスだった。
まるで地方都市に来たような気分で、さらに宴会は続いた。
終電の時間になって2次会で閉会となったが、これほど多くの人に誕生日を祝ってもらったのは初めてのことだった。
一生に一度のいい体験だった。
参加してくれた皆さん、どうもありがとう!
今日もいい肴と酒で一勝。
2010年1月15日(金曜日)
午後から荏原図書館へ行って仕事をした。
ワープロで打つ前に、手書きで原稿を書こうと思ったからだ。
最近、なるべく手で書くようにしている。
ノートにシナリオの構想を書くのも手書きだし、箱書きからシナリオを起こす時も、下書きのように手で書いてみる。ラフなデッサンをするような感覚で書く。
細かな文字を書き込んだり、赤で修正したりしてフォルムが固まると、それからワープロに打ち込む。
シナリオを練る段階では、手で書いた方がしっくり来る。
もちろん、構成のカードなども手で書く。
手で書いた方が、創作意欲が湧きやすい。
蕎麦も手打ちの方が重宝されるが、シナリオも同じかも知れない。
今日の仕事は雑文だが、ノートと原稿用紙を持参して、やはり手で書くことにした。
20時の閉館間際まで仕事をして帰宅すると、娘が一日遅れの誕生日のプレゼントを用意してくれていた。
ネットで注文したので一日遅れたのだそうだ。
品物は、クリスタルのロックグラスだった。
愛用していたバカラを割ってしまったので、気を利かせてくれたのだ。
ありがたく頂戴するが、仕事があるので、今日は休肝日にした。
きちんと仕事をして、娘からのプレゼントももらったのでいい日のようであったが、ギャンブルに手を出して失敗したので、今日はドロー。
2010年1月16日(土曜日)
深夜、昨日書いた文章をワープロに打ち、それをプリントアウトして赤を入れ、再びワープロで修正し、またまたプリントアウトして赤を入れ、ということを繰り返し、途中で気になる資料を広げて眺めたり、ということを繰り返していたら、とうとう徹夜になってしまった。
上がった原稿をメールで送り、一時間ちょっと睡眠を取って、お昼から飯田橋の製作会社に向かった。
ある映画の打ち合わせだった。キャスティングのための稿がそろそろ必要なので、プロデューサーと改訂の方向について話し合うことになったのだ。
それほど大きな直しにはならず、打ち合わせは思ったよりもかなり早く終わった。
今年の夏クランクイン予定だが、映画の企画はよく流れる。最近は特に流れる。
どうか、このシナリオだけはゴールまで到達してもらいたいと念じながら、事務所を後にして飯田橋の駅に向かった。
時間も早いので映画でも観て帰ろうと思ったが、ふと前日の負けを取り返したいという欲望がむくむくと湧きあがった。
その結果、ひどい目にあった。
昨年の後半から、私はすっかりギャンブル運に見放されている。
先月は、中山競馬場の一番いい部屋でG1レースを観戦するというチャンスに恵まれた。知り合いが招待され、私を誘ってくれたのだ。
お姉さんに頼めば生ビールでも何でもタダで持って来てもらえ、専用の発券所がすぐ近くに設置されているという夢のような部屋だった。
ベランダに出ればそこは双眼鏡を並べた観覧席になっていて、ゴールが真正面に見下ろせるようになっていた。
つい調子に乗って生ビールを何杯もお代わりし、気がつくと財布に飲み代も残っていないという火だるまの状態になっていた。
年末の競輪グランプリは、仲間と一緒に車券を買いに出かけた。
1年に1度のビッグレースは、海老根恵太→武田豊樹→伏見俊昭の着順で決まった。
私は、武田豊樹→海老根恵太→伏見俊昭の三連単を持っていた。
1着と2着がひっくり返ってしまったが、着差はわずか1センチのタイヤ差であった。
三連単が決まれば、もちろん万車券。
ほとんど取れたと思っていたが、ゴール直前で網からするりと大魚が逃げてしまった。
ことほどさように、ここしばらくはすっかりドツボに嵌った状態が続いている。
年が変わって流れが変わるかと思ったがそうでもなさそうだ。
ギャンブルは、桜が咲くまで封印することにした。
悄然と電車に揺られているうちに、渋谷ガード下の、のんべえ横町に向かうことを思い立った。
知り合いが秋田からハタハタの鮨を送り、私の分だけその酒場に取り置きしてくれているというメールが入っていたからだ。
なじみの狭い店で、ハタハタの鮨を肴に日本酒を冷やで呷った。
ハタハタの鮨は、いわゆる飯鮨で、ブリコ(ハタハタの卵)が半生の状態でしっかり漬けられてあった。
東京では絶対に食べられない味だ。秋田県人で良かった、と思った。
日本酒のグラスをお代わりし、気がつくとのんべえ横町をはしごして、帰りはタクシーになってしまった。
ハタハタの鮨がうまかったが、ギャンブルの失敗で、今日は完敗……。
2010年1月17日(日曜日)
起きてすぐ、パソコンのスイッチを入れた。
メールへの返信が遅れてそのままにしていたものが数件あったので返事を書かなければならないのだ。
パソコンを起動してメールをチェックした。
迷惑メールがたくさん入っていた。長く使っているアドレスなので、一日に50件以上の迷惑メールが届く。
アドレスを変えれば良さそうなものだが、気に入っているので変えられない。
一つ一つ迷惑メールの設定をして削除してゆく。
儀式のような作業を終え、肝心の知り合いからのメールに返事を書いた。
返事を書き終えて、昨日送ったはずのリレー日記の原稿がアップされていないことを発見した。
パソコンが新しくなり、ウィンドウズ7になったので、アドレスの設定が別のものになってしまっているのをうっかりしていたのだ。
慌てて送信者のアドレスを正規のものに変更して再送した。
昨日の一日の日記を新しく書き起こし、やっと送ったと思ったら、もうお昼近くになってしまっていた。
朝食と昼食を兼ねた食事をとりながら、日曜日の楽しみであるNHKの囲碁番組を見た。
囲碁番組が終わってからは、一昨日近所の図書館から借りて来た笠原良三脚本の「がめつい奴」のビデオを見ることにした。
菊田一夫原作の映画だが、パワーに満ちた快作だった。
三益愛子が強欲婆を熱演していたが、中山千夏も名子役ぶりを発揮していた。
子供の頃、田舎の街に、この映画の大きな看板があったことを記憶している。小学校1年生の頃だ。
ひらがなが読めるので、きっと看板の文字を読んだと思う。
「がめつい」という言葉の意味はまだ知らなかったと思うが、看板の文字の記憶が微かに残っている。
年齢を重ねるごとに、昔のことを思い出すことが多くなってきた。
夕食は家族で近くのステーキ屋に行き、ビールのジョッキと焼酎を一杯ずつ飲み、満腹で帰宅して一休み。
学生から送られたシナリオをプリントアウトし、これから読み始める。
明日の講義まで、数本の短いシナリオを読まなければならない。
今日は、可もなく不可もなし。ごく平凡な一日で、勝ち負けなしの引き分け。
あと50分で日付が変わり月曜日になる。
リレー日記を担当してあっという間に一週間が過ぎた。
仕事はあまりできなかったが、素晴らしい人たちと会え、お酒もたくさん飲めた。
通算成績、三勝一敗三引き分けという、上々の一週間だった。