2010年2月23日(火曜日)
昼過ぎに起きたら、周囲が白くなっていた。子供の頃は、雪が降ったり台風が来たりすると、嬉しくて、胸がドキドキしたものだが、今は寒いなあ、と思うだけ。今日は外出の予定もないし、外に出るのもいやなので、寝っころがって、友人にちょっと頼まれていた、太平洋戦争前の市井の生活を描いた小説がないか調べているうちに面白くなって、読みふけった。
雪はみぞれにかわっている。寒い!でも、お陰で外は静か。夜、元シナリオ講座生のHさんが、先日送ってきてくれたビデオを見る。85年のアラン・カヴァリエ監督作品「テレーズ」だ。キリストに恋して修道女になった15歳の少女、テレーズ・マルタンの短い一生の物語。この映画を初めて見たときの感動は忘れられない。
カルメル修道院の中での、テレーズの祈りと労働の日常を綴っていくだけなのだが、それが決して退屈することなく、緊迫感に満ちている映画だった。
フランドル絵画みたいな美しい画面。そしてあの圧倒的な静けさ。過剰なものが一切ない映画。当時、見終えて、この静かさはなんだろう?と思ったとき音楽がないことに気がついた。
紙の上を走るカサカサというペンの音。衣擦れの音。足音。それら微妙な効果音だけなのだが、音楽はない。心理的緊張感の中では音楽で助けてもらう必要はないのだった。
今回、10数年ぶりに見た感想も同じようなものだった。けれど、今回は、キリストに殉じたテレーズ役のカトリーヌ・ムーシェの演技と、花のような微笑みが一際心に残った。
この映画が好きという私と意見の合ったHさんとも、また今度、話して見たいと思っている。
2010年2月24日(水曜日)
今日は、午後の2時から、赤坂のシナリオ会館で、「シナリオ講座」研修科の授業。三人のライターで教えているのだが、私の担当は今日で終り。顔と名前もすっかり一致するようになり、どんなものを書いたのかも分るようになった講座生の皆さんの顔を、ぐるりとみまわす。
今回の生徒さんたちは、圧倒的に女性が多く、男性は5人。20代、30代、40代、50代。大学生、シングルの方、主婦の方、元看護婦さん、元編集者と多彩。よく意見も出て熱心。おまけに、とてもみんな明るく、仲よく、和気あいあいで、今日などは、バレンタインデーのお返しということで、キャンディーやら饅頭やらが、机の上に置かれた。そんな彼らに水をさすような気はしたが、シナリオを書くということ、本物のプロのライターになるということの厳しさ。趣味でやるのとはちがう、覚悟がいるのだということ。シナリオはその人の生き方なんだということを、やっぱり私は、くり返した。
終って、いつものようにお茶を2時間。そのあと、残った数人で乃木坂の「コレド」に行く。ちょうど、芝居をやっていたが、オーナーの桃井さんは、いつものように優しく、歓待してくれた。終電近くなって、帰る。さすがにくたびれて、ソファーにゴロンと横になって新聞を読む。「朝日」の文化面の『蝶々夫人の日本像、誤解改め上演へ』という記事に、思わず笑ってしまった。声楽家の岡村喬生氏が、オペラ「マダム・バタフライ」のイタリア上演に際して、台本の「こんなことはありえない」という「おかしな」部分を改訂したという記事。本当に、日本人が思っているほどには、欧米では日本は知られていないのだということを又もや思いしらされる。
2010年2月25日(木曜日)
久しぶりに晴れた一日。柔らかな日ざしが暖かい。明るくなった日ざしの中でみると、我が家の汚れが妙に目立つ。汚いなあ……と一人言を言いながら、でも今日は掃除も何もしたくない。なんだか今日はだるい。胸も息苦しい。頭痛もする。昨夜寝るのが明け方になったせいかも。頭痛薬をのんでちょっと寝ている。なんだか床に吸いこまれる感じ。傷んでいる!という感じ。仕事は勿論、何もしたくない。
バッハを聴きながら、じっと寝ていた。しんどいのも、いろいろめんどうな気がするのも、認めたくないが、年をとったせいかもしれない。
「年をとっていいことなど一つもない。もっと最悪なのは若い頃を想い出すことだ」 デビッド・リンチ監督の「ストレイト・ストーリー」に出てくる老アルヴィンが、たしかこんなようなセリフを言っていた。納得!
ケンカした兄ともう一度、小さい頃のように一緒に星をみたい。73才の老アルヴィンは、時速8kmの古いトラクターで560kmの旅に出る。「ストレイト・ストーリー」は本当に素敵な映画だった。やっぱり素敵な映画が作りたいなぁ……夜になって、少し元気になる。
2010年2月26日(金曜日)
先日、心臓の心エコーというのをとったので、今日はその結果を聞きに、K大学病院へ行く。2003年に、突然、婦人科の癌がみつかり、手術、治療してから7年。その間に、再発したり、肺をやったり、リンパ浮腫を併発したり、何度入院したことだろう。しかし今は、3か月に1度の経過観察だけなので(腫瘍マーカーがあがっていないかと、その日だけはドキドキするが)、病院とも離れていられる。健康な人たちの間で暮して、ほとんど自分が癌患者であったことを忘れて暮している。しかし患者でごった返しているK病院の中に入ると、なんだか神妙な気分になった。自分が、このごろちょっと傲慢であったことに気がつく。いろいろなことに対して。
心臓の方は、弁が少しゆるくなっているが、今どうこういうほどのことでもないらしいので、ちょっと安心して、久しぶりに昔入院していた婦人科病棟に行ってみる。ちょうど昼の食事が終ったところで、数人の患者さんたちが、廊下を歩いていた。勿論、もう、知っている顔は見当らない。ナースステーションにいる医師も看護師も、ほとんど見知らぬ新しい顔ぶれだったが、廊下の向こうから「井上さん!」とお世話になった美人で優しいT看護師が。懐かしい! ちょっと立ち話して、ここが懐かしいなんてダメよ。今度、病院の外で会いましょうというTさんとお茶の約束をして別れた。
この7年の間に、この病棟で知り合った患者さんたちの、もう、何人が、亡くなったことか。最後まであらゆる治療法に挑戦して力つきた若いMさん。中学受験を控えた息子さんのことを気にしながら闘い破れて亡くなったNさん。消灯前のトイレで、黒いベルベットのドレスに真珠のイヤリングをきめて、もうやることがないので明日退院するのと笑っていたKさん。あれは、何のお祝いだったのだろう? 皆んな、清々しく、明るく、闘っていた。
夫と待ち合わせて、食事をして帰宅。病院は疲れる。
人間の一生は「生老病死」。夫も私も生まれて、老いて、病いを得て、あと残るは死のみ。ヤレヤレ……。
2010年2月27日(土曜日)
昼前に起きたら、外は春。暖かい風が吹いている。庭一面に、雑草が芽を出していた。もう1か月もすぎると、庭はたいへんだ。
昨日、病院へ行ったせいか、作家の辺見庸のことを考える。5年前、再発して、最低の気分で入院したとき、私は辺見庸の『自分自身への審問』を持っていき、読んだ。
脳出血と癌。「ある日突然、二重の災厄に襲われた」辺見庸の「現世への異議」と「自分自身への有罪宣告」の書である。最初の癌宣告とは比べものにならない再発の宣告のショックの中、あ、私よりこれは酷い。私はまだマシ。まだ体が動くからと、妙に気持が軽く(?)なって、(むしろ諦めにも近かったが)私は1年に渡る治療に入ったのだった。
『死、記憶、恥辱の彼方へ』の章の「セーキは自分で洗いますか?」を読んだときは、本当に胸がいっぱいになった。学校を出たての若い女性看護助師さんに動けぬ体を洗ってもらう辺見庸。「お湯熱くないですかあ」「頭痒くないですかあ」と優しく声をかけながら丁寧に洗う看護助師さんが、「ややあって」こう言うのだ。「セーキは自分で洗いますか?」「自分のグラスは自分で洗いたいですか、と言った調子の、媚びるでも強いるでもふざけるでもない、ただ生真面目な問い」に、辺見庸は「恥辱をぼくは毫も感じませんでした。むしろ好感したのです」と書いている。人は誰でもいつか死ぬと言った類ののんきな死ではなく、そう遠くない日のいつかに、確実にやってくる死を迎え討とうとする者の覚悟が、この本にはみえた。共感し、励まされもした。お会いしたことはないのだが、辺見庸氏にはずっと元気で、このどこまでも軽い世の中への異議申したてを書いていって欲しいと思う。
2010年2月28日(日曜日)
暖かい。洗濯物を干して、空をみあげたら、楠の枝の間から真っ青な空がみえた。深呼吸する。昼すぎ、新聞のキリヌキ帖の整理。16世紀の神学者、カルヴァンの『キリスト教綱要』を翻訳した渡辺信夫さん(86)の記事が心に残る。渡辺氏は牧師。最初の訳を1960年代前半に出したが、90年ごろから改訳。1度出版した本を20年近くかけて又改訳し、「しかも前より文章が長く、あえて読みにくくした」のは何故かという質問に、「分りやすさと真理に迫ることは必ずしも関係ないわけでして」「いま、キリスト教界だけでなく、文学だってフワフワした文章が盛んです。だから、よく考えながらでないと読めない文章を書く必要があると思いましてね」と答える。カルヴァンから一番学んだのは「良心」の問題だと。明日、紀伊國屋にいって探してみよう。
3時すぎ。お茶をのみながら、8000年前の岩絵と砂漠を見に、リビアに行った姪からのレポートと写真をみる。首やら腰やらあちこち故障を抱えている姪とその友人は、ガタガタの古いトヨタの車にのせられてテント暮しの日々だったのに、気分も体調も絶好調!だったとか。そうだろうなと、私も、あまりにも美しい砂漠の写真に見いる。うっとりする。ピンク色だったり、オレンジだったり、グレーだったり、刻々と変化する見渡すかぎりの砂漠。ラクダの脚の骨が転がっていたりもする。生きている間にこういう美しくも過酷な場所に行く体力は、もう私にはないが、こういうところで風葬になるのもいいかなと思ったりする。でも、カラカラと骨になるまでには、鳥や獣に食べられなくてはならないとすると、ちょっとな……。と、くだらないことを考えていたら、夕方になってしまった。夜、ENAさんに原稿を渡しに新宿へ。ブログをやったこともやる気もない私のためにENAさんがアップロードしてくれるのだ。お茶をのみながら、映画の話やシナリオの話、いろいろお喋りをする。
この間みたワイダの『カティンの森』の話も。『カティンの森』は、本当にすごかった。久々に、終って席から立ちあがれなかった。最初のポーランド東部、ブク川の橋の上のシーンから、ラストの虐殺のシーンまで、息もつかせない。頭を撃ちぬかれ、ほとばしる血潮を、バケツの水でザーと流すロシア兵。動物の屠殺場のような光景が、感情の入るすきもなく淡々と続き、森の中では、次々に撃ち殺された遺体は、深い穴の中に倒れこむ。やがていっぱいになった穴は、トラクターで土をかけて埋められる。静寂。漆黒の無音の画面が数十秒続く。エンドマーク。私は、今期のシナリオ講座の研修科の生徒さんたちに、この映画をみることを宿題にした。次回の講義で使うからと。戦争映画嫌いですと言っていた生徒さんたちも、ワイダを知らない生徒さんたちも、宿題ということで、ほとんどの人がみたようだ。アンジェイ・ワイダ監督の心意気を皆んなに知ってもらいたかった。映画も、こういうことができるのだということを。
さて、今日で「リレー日記」の私のノルマも終りです。以前、30分の昼帯をやったときみたいに、次から次へと毎日、推敲もままならぬ60枚のシナリオを書いて、疲れたことを想い出しました。愚痴やらつぶやきやらに、おつきあいいただきまして、ありがとうございました。いつかまた「シナリオ講座」でお会いしましょう!