シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
    井土紀州 (シナリオ作家・映画監督)

  94年よりシナリオを書き始め、その一方で映画製作集団
  スピリチュアル・ムービーズを結成し、自主制作映画を
  作り続けている。
  8ミリ映画である「百年の絶唱」や、07年公開の「ラザロ」は、
  伝説的傑作として高い評価を得ている。

  ■映画(脚本作品)
  「雷魚」「HYSTERIC」「MOON CHILD」「YUMENO ユメノ」
  「刺青」他
  ■映画(監督作品)
  「第一アパート」「百年の絶唱」「ヴェンダースの友人」
  「LEFT ALONE 1」「LEFT ALONE 2」「ラザロ-LAZARUS-」他



                            


2008年10月20日(月曜日)

十年以上も前に仕事をした編集者の方から、突然、連絡があり、短い原稿を何本か書くことになり、しこしこと書いている。24日(金)が締め切りだ。
シナリオを書くのも辛いが、文章を書くのも辛い。なかなか調子が掴めない。
それで、ついついiTunesに逃避する。新宿TSUTAYAが半額セールをやっていたので、大量に借りてきたCDをガンガン取り込んでいく。気に入った曲をプレイリストに入れて選曲集を作り、それを聴いては悦に入る。
仕事のためのBGMを作ろうとして、そのBGM作りに膨大な時間を割いてしまう。
私の人生は、そういう阿保くさい毎日の繰り返しだ。

夕方からは、松江哲明氏のお父さんのお通夜に出かける。遺族として立派にふるまう松江君の姿が目に焼きつく。
会場で会った向井康介氏、若手映画作家の真利子哲也氏と三人で、三鷹駅前の居酒屋で飲む。27歳だという真利子君のジリジリとした焦燥感にどこか懐かしさを覚えながらも、絶対に20代なんかには戻りたくないと思う。
20代は暗黒だった。それに比べれば30代は楽しく生きられた。40代はもっと楽しく生きてやろう。



2008年10月21日(火曜日)

背広とワイシャツをクリーニングに出して、喫茶店でモーニング。トーストをかじりコーヒーを飲みながら、原稿の内容について考える。
喫茶店の帰りに立ち寄った駅前の本屋で、高橋洋氏とバッタリ会う。高橋さんと午前中に遭遇するなんて珍しいなと思っていたら、これから東京国際映画祭に金綺泳の映画を見に行くとのこと。うらやましい! 一緒に見に行きたいという衝動にかられるが、ぐっと堪えて帰宅。シナリオであれ原稿であれ、締め切りが近づいてくると、どうしても映画を見に行く気が失せてしまうのだ。

午後からは、パソコンに向かう。
借りてきたCDはすべて取り込んでしまったので、iTunesをいじることも出来ない。
昨日作ったBGM集をなぐさめにしながら、しかたなく、原稿を書く。
煙草の吸いすぎで気持ちが悪い。



2008年10月22日(水曜日)

午前中から日本ジャーナリスト専門学校に出かけ、学生たちが撮影するドラマの実習に立ち会う。スタッフ、キャストが一堂に会し、初めてのリハーサルの日にも関わらず、監督を担当するはずの生徒が来ていない。プロデューサー担当の生徒が、何度も連絡しているが、全くつながらないとのこと。遅刻してきたら、怒鳴りつけてやろうと思っていたが、結局、監督は最後まで姿を現さなかった。
先が思いやられる展開だが、プロデューサーやカメラマン、助監督を担当する生徒たちが、懸命にリハーサルを進めていく姿に少し安堵する。

夜は新宿で、某監督と会う。シナリオを依頼されるが、スケジュールが合わないために、お断りする。以前から関わりのあった仕事だけに、やりたかったが、諦める。
この仕事、暇なときは心細くなるくらい暇なのに、重なるときは本当に重なる。
うまくいかないものだ。



2008年10月23日(木曜日)


編集者からの電話で起きる。原稿の進行具合を聞かれ、出来ている何本かをメールで送る。
反応は良好で「この調子でどんどん書いてくれ」とのこと。
少しほっとする。

タイ料理屋で、海老チャーハンを食べ、クリーニング屋から背広とワイシャツを持って帰る。箪笥の奥に背広をしまいながら、次に袖を通すのはいつになるだろうか、と思う。
出来れば祝い事の席であって欲しい。

午後からはパソコンに向かって、原稿を書く。
例によって一本書きあげるのに時間がかかり、へとへとになる。
書いている途中から雨が降り出した。
今年は、出かけるときは晴れているのに、出先で雨に降られるということが多かった。
おかげで、玄関先は新品のビニール傘であふれている。



2008年10月24日(金曜日)

今日が返却日なので、借りてあったスタンリー・キューブリック『現金に体を張れ』のDVDを見る。昔、見た時は、時制の扱い方に感心した記憶があるが、今見ると少しやりすぎているように思う。

新宿TSUTAYAにDVDとCDを返却したあと、午後から横浜の東京芸大に出かける。シナリオの構造分析みたいなことを話してくれ、との依頼なので、田村孟の『少年』について話す。
田村孟が書いた『少年』のシナリオは私にとっての古典だ。私はこのシナリオを読み、分析しつくすことによってシナリオが書けるようになった。だから、いつも心のどこかにこのシナリオのことがある。
芸大の学生たちには、昔、「映画評論」に掲載された初稿を渡す。
なぜなら、この初稿には、田村孟がシナリオ作家として心血を注いだ感動的な数行のト書きと台詞があり、以後雑誌などに掲載された決定稿ではこの部分が見事に消されているからだ。『田村孟 人とシナリオ』に掲載されているのも決定稿の方で、読んだとき、無念だった記憶がある。

夕方からは都内に戻り、録音助手の近藤崇生と待ち合わせて、スタジオを見学。
明日やる新作の仮ミックスのための機材の確認である。

帰宅後、原稿に取り組むが集中力が続かず、挫折。
締め切りまでに終わらなかった。



2008年10月25日(土曜日)


朝から、録音技師の小林徹哉、助手の近藤崇生と新作の仮ミックス作業。
助監督の川崎龍太、記録の久保田貴子、俳優の長宗我部陽子らも遊びにくる。
初めて音楽がついた映像を見て、一同、感嘆の声をあげる。
今回の映画音楽は安川午朗氏にお願いした。
脚本家としては、何本も一緒に仕事をしてきたが、監督として安川さんに依頼するのは今回が初めて。手ごたえを感じる。

作業終了後は、韓国料理屋で飲みながら、川崎君らから感想を聞く。
その後、新宿二丁目に移動し、ドイツ・フランクフルトの映画祭“ニッポン・コネクション”を主催するメンバーらと合流。アレックス、マリオン、ホルガーらと久しぶりの再会。彼らは東京国際映画祭に来ているのだ。
店には、廣木隆一監督や映画批評家の塩田時敏氏、その他、ドイツでお世話になった方たちや知らない方たちも大勢いる。
酔っぱらって、深夜、タクシーで帰宅。



2008年10月26日(日曜日)

寝る前にウコンを飲んだので、ひどい二日酔いにはなっていないが、どこかふわふわとして、重力のバランスが崩れたような状態。

新宿に出て、喫茶店で川崎龍太と日本映画学校・俳優科の学生たちと作る映画のシナリオ打ち合わせ。
夜は、奈良の浅利大生氏と会う。浅利君は、『ラザロ』をはじめとするスピリチュアル・ムービーズの全作品を奈良で上映するという暴挙を企てた人物で、本来は音楽のイベントを中心に活動している。今回も彼の関係する音楽のイベントに合わせての上京とのこと。
今後の互いの活動についていろいろと話す。

次の執筆者は港岳彦氏です。
港さんとは、彼が仲間と作っている「映画時代」という雑誌の取材で知り合った。
気骨のある人物だと思った。
その港さんが、ピンク映画シナリオ大賞を受賞した。港さんから、そのシナリオ『イサク』が掲載された「月刊シナリオ」を送っていただいたが、怠惰な私はまだ読めずにいる。
港さん、すいません。今度、酒でも飲みましょう。その時までに必ず熟読しておきます。

港岳彦は、いい意味で不器用に回り道をしている感じがする。また、他人が作る場に期待するのではなく、自分で面白い場を作ろうとして悪戦苦闘している印象があり、そこに私はシンパシーを感じる。

今、港岳彦や富田克也といった独立独行型で、性根の座った面白い連中が出てきている。
ゾクゾクするような状況だ。私も負けてはいられない。

原稿は遅々として進んでいない。


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