シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
   芦沢俊郎 (シナリオ作家)

52 早稲田大学文学部卒、同年松竹脚本部入社、60 フリー。
75-97 日本シナリオ作家協会理事を務め、97 シナリオ研究塾
を開き、HPで後進を指導して現在に至る。

【代表作】
・1991年 映画「動天」(東映)
・1965年 映画「真紅な海が呼んでるぜ」(日活)
・1960年 映画「あの波の果てまで」(松竹)
・1960年 映画「大いなる愛の彼方に」(松竹)
・1960年 映画「三人の顔役」(大映)
・TV「古都」(TBS)
・TV「ここに幸あり」(CX)
・TV「二十四の瞳」(TBS)
・TV「水戸黄門」(NTB)
・TV「影の軍団」(TX)、他多数


                            


2010年7月5日(月曜日)

杏子から「俵屋吉富」の水羊羹が送られてきた。横浜の家を出て単身京都へ赴き、能の世界で働き出してから早くも六年。してみると、あの娘も二十六になったわけか。塾の初期にふらっと見学に来たのがきっかけで、いまだに交流が続いていることを考えると、人と人の繋がりは面白いものだと改めて思う。



2010年7月6日(火曜日)

カレンダーの今週の欄、今日だけ赤ペンの書き込みがない。で、久々に東陽町の碁会所を訪ねた。囲碁を三局、そのあと例によって麻雀卓を囲み、十一時過ぎタクシーで帰宅。高齢になってからは友達は出来ないと云うが、あれは嘘だ。江東区に住んでいた頃「東陽」に顔出して以来、親しい友が五人程出来たし、四年前脳梗塞でそこで倒れた時も、高ちゃんと米ちゃんが救急車に同乗してくれたのを思い出した。



2010年7月7日(水曜日)

去年の七夕は、浅草寺病院で迎えた。ヘルニアの手術と云っても十日間の入院で済んだが、この日は深夜、ホールに立てかけられた竹の傍へ行き、患者達が書いて吊した短冊を点検してみたことを憶えている。殆どが平癒を願う文章だったが、なかに一つ、「死ぬまでに一度宝くじの一等に当てて下さい」とあったのには思わず失笑した。



2010年7月8日(木曜日)


塾生が四人、夕方六時、仕事を終えてから我が家へ集まり、恒例の勉強会が開かれた。吉田君が書く作品をめぐって活発な意見交換がなされたが、とにかく皆、驚くほど熱心だ。割り勘で飲み食いし、解散が十時半。今日もまた心地よい疲れが残った。



2010年7月9日(金曜日)

今日と明日は「ほおずき市」。つまり、浅草観音の四万六千日というわけだ。去年は覗きに行ったが、限られた区画内での催しで、風情は充分だったが盛り上がりには欠けていた。尤も、ついこの間盛大な三社祭が終わったばかりだし、今月末には隅田川の花火大会があるわけで、当然のことだろう。
この浅草に住んで二年半になるが、祭りに明け暮れる実に賑やかな土地だと改めて思う。



2010年7月10日(土曜日)


送られてきた通信生の作品を二本、時間をかけて二度ずつ読む。大田君のは初稿だが、村上さんのは既に三稿。当たり前のことだが、初心者レベルでは直せば直すほど作品は光り出す。夜、それぞれに電話したが、五十分と一時間二十分、併せて二時間を超えた。
塾生の中でもめきめき力をつけて来ている人がいるが、それを見るのが何よりの楽しみになっている。



2010年7月11日(日曜日)

山本君が遊びに来た。一つには、仕事で行き詰まりがあって、知恵を借りに来たらしいのだが、果たして力になれたかどうか。
雑談の中に深作欣二の名前が出て、そう云えば、彼の訃報を聞いたのは脳梗塞で葛西の病院に入院していた時だったなと思い出した。
夜、作さん偲んで、彼と共同脚本した「影の軍団U」の第一話をDVDで見た。
作さんとは同い年、しかも二人とも六月生まれ。東映の太秦撮影所での出来事が、次から次へと甦ってきた。


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