2008年9月30日(火曜日)
二日酔い。風呂に入って十五時半予約の千駄木の山田歯科へ。もうちょっと生きてそうだし、おいしいもの食べるのだけが楽しみだからと、総入れ歯にしようと決意して根岸吉太郎に紹介してもらった歯医者さんだ。若松孝二はスルメが食べられる歯にしてくれと百万かかったと外して見せてくれたことがあったが、角川映画の仕事をやり始めたのでよしと思ったのだ。まだ総入れ歯にする必要は無いと言われた時、ホッとした。週二日でもう四ヶ月通っている。やっと土台ができて、これから歯を作るのだが、やはり一本九万円ぐらいで、結局、百万円ぐらいかかるらしい。角川映画は一稿を印刷したあと、クビかと思ってたら、決定稿を書いて下さいと言われ、でも、その後何の連絡も無い。一稿分のお金ももう無い。今日は九千九百九十円だった。どうしよう、歯のお金。池袋で降りてジュンク堂の前のラーメン屋で第一食。西武の地下の佃權でおでん(大根、はんぺん、チクワ、ガンモ、ボール)と深川太郎のあさりご飯を買って帰る。優勝セールで安かった。卵をゆでてオデンに入れる。明日の映芸のモギリ嬢座談会のために葛井欣士郎さんの「遺書
アートシアター新宿文化」を読み始める。六十年代の新宿が懐かしい。「ATGの究極の目的は観客席に坐った人の中から次の時代の新人が出現することである」 六六年、二度目の大学受験の帰り『とべない沈黙』を観た。そして十五年後、『遠雷』。『嗚呼!おんなたち
猥歌』も同じ日に封切りだった。
2008年10月1日(水曜日)
まだ調子が悪い。深酒すると二、三日ダメだ。冷凍しておいた御飯をチンして、オデンの残りで食べる。「遺言
アートシアター新宿文化」を読んでいると青島武から電話。「さよなら渓谷」ダメでした。新潮社から柳町と契約するという返事がありました。こっちの監督は瀧本智行。競争相手は是枝裕和、柳町光男。原作者吉田修一の要望は監督柳町光男、脚本荒井晴彦でやってほしいということだったらしい。「私たちは幸せになろうと思って、一緒にいるんじゃない」というセリフを今の時代の男と女にぶつけてみたかった。金が入るアテがまたなくなった。
六時から昔の新宿文化の裏にある「よし田」で「遺言
アートシアター新宿文化」の書評座談会。かつてのモギリやテケツの谷園子と斎藤泰子と映画評論家野村正昭。また「アライ君」の世界だ。MとSも彼女たちの同僚だった。俺は新宿文化はもちろん彼女たちが他の映画館の子たちと交換したチケットを貰って、タダで映画を観ていた。のみならず飲み代をもらったり、支配人の葛井欣士郎さんに見つからないように、事務所で出前のラーメンも食べさせてもらっていた。モギリよ今夜もありがとうと口ずさみながら。そして『赤軍
- PFLP
世界戦争宣言』上映隊の赤バスに俺が乗ることになって、Sが辞め、Mが辞め……。谷、斎藤に三十六年前の「過去」を責められる。葛井さんが「ATGの作品の中で3つ挙げろと言われたら『絞死刑』と『儀式』と『戒厳令』です」と言っている。いまの日本映画に必要なのは「アートシアター新宿文化」みたいなコヤと葛井さんみたいなプロデューサーだと切に思う。しかし、昔の話は心に悪い。終電で帰るみんなと別れ、ひとりで「鳥立ち」に向う。昔の話は体にも悪い。
2008年10月2日(木曜日)
冷凍しておいたカレーと冷凍しておいた御飯。『国道20号線』の富田克也から「しんゆり映画祭」に足立正生と来てしゃべってくれないかと携帯メール。足立さんに電話する。『アートシアター新宿文化』の書評原稿の催促かと思ったのか、風邪ひいてていま書いてると足立さん。「しんゆり」は快諾。映画やろうよの話になり、足立さん、河野多恵子の『半所有者』を上げる。屍姦ねと言うと、焼くまで屍体は半分、天皇のものなんだよ、だから、と往年の妄想狂ぶりを彷彿とさせながら構想を語る。ラストシーンは仁徳天皇陵だって。原作の短かさとアッちゃんの「空想」を警戒して『みいら採り猟奇譚』を提案する。六時からの映芸、寺脇対談のためにミヒャエル・ハネケの『ファニーゲームU.S.A.』のサンプルDVDを観る。金のためとか恨みとか怒りとかで人を殺すのではない、目的や動機のない殺人は恐い。『ダークナイト』のジョーカーを越えている白手袋の美青年二人組。湖のヨットを見て、『水の中のナイフ』から遠くへ来たなあと思う。
韓国のチュンムロ映画祭の審査員でマイケル・チミノと共闘したという寺脇研、ケン、コールミーマイケルと言われたと。チミノ、寺脇がアメリカ映画を見始めたのはここ一年だというのは知らないだろうなあ。寺脇、慌てて『ディア・ハンター』と『天国の門』を観てから行ったらしいけれど。『天安門、恋人たち』のロウ・イエに北京で会った時、「君の瞳に恋してる」が使われていたけど…と訊いたら『ディア・ハンター』が好きなんです、八十年代に欧米の映画や音楽がワッといっぱい入ってきて、と。そうか、それが八九年天安門になったのか。俺は六八年世代で、あなたの映画のように「その後」を『身も心も』という映画でやった、帰ったら送るから見て欲しいと言ったら、同席していた八一撮影所の日本映画研究者旺暁志が多分出てますよ、海賊版がと言う。ロウ・イエがPCを持ってきて検索するとポルノのジャンルで売っていた。値段は十元(170円)、みんなで笑った。『赫い髪の女』もあった。恐るべし、中国の海賊版。俺はメッシーかよとボヤく寺脇に、映芸編集部、メシをご馳走になって帰る。みのもんたにクビになり、鳥越俊太郎にもクビになったという寺脇さん、メシだけじゃないよ、頑張って稼いでくださいね。
2008年10月3日(金曜日)
先生が午前中だというので九時半起きで日曜にキャンセルしたむさし小金井診療所へ。薬がもうないのだ。待っている間に『戦争文学を読む』(朝日文庫)を読む。「自分はこんなにつらい思いをしていやいや戦地に赴いて、望郷の歌を歌ったりして、こんなに悲しいんだっていうことは語られるけれども、加害者の現場、加害の行為を記述する言語を持ちえなかった」(上野千鶴子)、「戦争はいつも外部からやってくるから、私たちはいつも被害者なんだと描かれている。ここでは戦争に対する当事者としての意識はありません。『陸軍』と『二十四の瞳』とは戦争の語り方において連続性を持っていると思う」(成田龍一)。きのうも、ベトナム戦争での集団強姦殺人を『カジュアリティーズ』で描いたブライアン・デ・パルマがベトナムでの教訓は無視されたとイラクでの米兵による14歳の少女レイプと家族4人惨殺事件を映画化した『リダクテッド
真実の価値』を寺脇と話した時にも、どうして日本の戦争映画は「加害」を描けないのかという話になった。南京大虐殺は無かったという映画ができて例の女国会議員たちが見たらしいと寺脇が言う。『リダクテッド』は反米映画と言われているらしい。寺脇が「反日」映画を作ろうよと言う。いま、青山真治とやろうとしている。血圧は124、78。こんなに低いのは初めて。俺は六十歳の無料検診で血圧と尿の潜血がひっかかって、動脈硬化になると脅されて薬を飲んでいる。市川準は検診とかしてなかったんだろうか。なんかふらふらするので、中野に戻って「美登里」へ。ここの鰻重、3150円、2100円、1570円とあって、お昼は1050円のがある。お昼のにきも吸150円付けて第一食。部屋に戻って洗濯。四時半から山田歯科。型を取る。ディスクユニオンでやっと出たダン・ペンの新作を買って「隨園別館」へ。アルチンボルドの成田尚哉に中国のフランク・ミュラー、マッシュの太田雄子に内聯昇の布靴、祢寝彩木に赤い星のTシャツ、火鍋の麻辣湯素、井上淳一からシルクスカーフと北京土産を渡す。「済南賓館」の予約がいっぱいでここにしたらしいけど、おいしくない。成田と太田のご馳走なんだけど。明日、世田谷文学館で白坂依志夫さんとのトークがあるからと黒沢久子が帰り、四人で「ブラ」へ。妻子抱えて食えない橋本浩介を食わしてくれと成田に頼む。俺もだけど。「隨園別館」にはもう行かないぞ。
2008年10月4日(土曜日)
首を寝違えた感じがひどくなってきたので、整形外科へ首の牽引と電気を当てに行く。頚椎の椎間板ヘルニアなのだ。戻ってきて解凍して残っていたカレーと冷凍御飯。五時開演の「新宿ゲバゲバリサイタル
渚ようこ新宿コマ劇場公演」へ。最初で最後の新宿コマだ。コマイコール大衆だと思ってきた。コマの前に並ぶ人たちを見て、この人たちが変らなくては日本は変らないと思ってきた。この人たちは映画では「寅さん」を愛し、選挙では自民党へ入れるのだ。戦前には植民地支配や侵略戦争を支持し、戦後は朝鮮戦争やベトナム戦争で片棒を担いで金持ち日本になったのになんの痛痒も感じない人たちだ。日本の「加害」の映画なんて見るわけないよな。渚が気持よさそうに歌う「港町ブルース」や「伊勢崎町ブルース」。なんかまた「昔」が押し寄せてくるなあ。「ここは静かな最前線」は『天使の恍惚』の歌だ。赤バスを送り出したあと、ATG映画を作ろうとしていた若松孝二と足立正生に対する不信が上映隊造反になった。ゲストの三上寛。彼のデビューは「ステーション‘70」で俺が仕切った映画葬式パーティではなかったろうか。SやMにも手伝ってもらった。谷園子は牧田吉明の「ステーション‘70」で働いていた。ゲストの山谷初男、ハッポンとは山尾三省ひきいるヒッピーたちがやっていた国分寺の「ほら貝」だ。弟とその仲間が屯していたので、俺はそこではアニキと呼ばれていた。歌をBGMにしていろんなシーンが頭の中に浮かんでは消える。俺が傷つけていたのだ、棄てられて当然だった。アンコールは「哀愁のロカビリアン」、「これもまた時代の中の男と女の物語、時代の風が吹いたばかりに運命が揺れ動く」という歌詞に涙が出てきてしまった。三丁目で祢寝がおいしいと言っていた豚丼。たいしたことない。「ブラ」で湯布院映画祭の横田茂実を待っていると、「国道20号線」の富田克也と彼女が現れる。「おにんこ」(茨城弁でおにぎり)という埼玉出身ギャル三人バンドのベース。十三日、新大久保のライブに来てと。横田が来て、来年、水木洋子特集やりたいと言う。じゃ「脚本(家)で映画を見よう」というタイトルでゲストはみんな脚本家というのはどうと提案。監督と俳優という初日舞台挨拶みたいな映画祭はよそうよと。沖山秀子、松田政男、高取英、来る。みんなコマ流れだ。二時頃渚から電話がかかってきて池林房の打ち上げへ。プロデューサーの志摩さんがいる。抜けて「鳥立ち」へ。富田とバカ話してると隣からアライさん。林静一夫人、せつ子さんだ。こんな時間に、昭和十八年生まれが、すごいとうれしくなる。富田に紹介したら、林静一さんを知らなかった。せつ子さんと二人で困って、小梅ちゃんと説明。うーん、彼らの知らない「昔」の夜だった。店を出るとピーカン。九時か。
2008年10月5日(日曜日)
起きたら四時、気持悪い、当然の二日酔い。冷蔵庫に何も無いので京王百貨店の「有名寿司と全国うまいもの大会」へ買い出しに行く。いなほ稲荷ずし、神楽坂「五十番」の肉まん三個(冷凍できる)、紅鮭の粕漬けと加賀味噌漬け四切れ千百円、博多中洲「宝雲亭」の一口餃子。帰ってきて稲荷ずしを食べて夏モノと秋冬モノの服を入れ替える。あと何回、衣替えするのだろうかとふと思う。冷凍してあった鳥ガラスープを解かして、ゴマ油、塩、胡椒、醤油、ネギを入れて、一口餃子と食べる。米を研いでいる時、ああ、また水が冷たくなる冬がくるんだなあと思う。米なんか研いだことが無かった頃、湯沸し器のお湯で米を研ぐ女がいると聞いて、全くいま時の女はと思ったが、その気持ち分るどころか、俺もついやってしまう。昔の女の人は大変だったなあ、冬の洗濯とか、とオフクロのこと思う。NHKのETV特集「戦場カメラマン小柳次一〜日中・太平洋戦争
従軍5千キロの記録〜」を観る。戦意昇揚目的の従軍カメラマンが戦場の実態を見るうちに撮る写真が変わっていき、戦後は遺影配達人になったというドキュメント。徐州作戦で麦畑を進軍する兵隊たちの写真を見て、元兵士が証言する。徐州作戦のときはね、女子供はみんな麦畑の中に逃げてた、騎兵隊が真っ先に行って、そこでやっぱり強姦したんだ、一回はね、仲間の野郎が強姦したんだ。その仲間がいなくなっちゃった、それであわてて下士官が飛んで行って探したら、井戸の中に叩き込まれてた、それで怒ってその部落を焼いちゃった、皆殺しにして、そういうこともあるんだ、だから悪いこともしてるんです、そういうとこ見てるからねぇ、友人とも言えねえんだよ。小柳の写真には事実を示唆する場面はありませんとナレーション。そういう写真を撮ってしまった従軍カメラマンがいたとして、とストーリーを考えてみる。冷たい雨の音が聞える。